自分分析
「私はどうしたいのだろう」
その答えが分からなくなったときに
仕事を続けたい。
でも、もう疲れている。
人から認められたい。
でも、人の評価ばかり気にして生きたくはない。
自由に生きたい。
でも、生活していくためには社会に適応しなければならない。
家族を大切にしたい。
しかし、自分自身の人生も生きたい。
こうした思いがいくつも重なってくると、
「結局、私は何をしたいのだろう」
ということさえ分からなくなることがあります。
生かされてる医学では、このようなとき、
「自分は一つである」
という前提から、いったん離れてみます。
自分のこころをよく見てみると、その中には、
「こうしたい自分」
「こうしなければならない自分」
「人から認めてもらいたい自分」
「自由でいたい自分」
「安心したい自分」
「優しく生きたい自分」
など、さまざまな自分が存在しています。
それらを一つ一つ区別し、
今、どの自分が何を求め、どの自分が苦しみ、どの自分とどの自分が葛藤しているのか
を見ていく方法が、自分分析です。
性格分析、新型ストレス、そして自分分析へ
生かされてる医学では、こころを一つの方法だけで分析しません。
まず性格分析では、
自分がどのような反応の仕方をする人なのかを見ます。
人の欠点が先に見えるのか。
人の評価を強く気にするのか。
自由を求める気持ちが強いのか。
自分を抑えて人に合わせやすいのか。
こうした「性格のかたち」を見ます。
次に新型ストレスでは、
第1の自分――自分を生きたい自分
と、
第2の自分――社会適応しようとする自分
の葛藤を見ます。
その葛藤が続くと、判断できず、疲れ、無気力・無感動になっていく第3の自分を生きることがあります。
しかし、それでもまだ分からないことがあります。
たとえば、
「自分を生きたい」
と言っても、
一体、どの自分を生きたいのでしょうか。
「社会に適応しなければならない」
と言っても、
何を守るために社会適応しているのでしょうか。
そこで、さらにこころの中を細かく見ていくのが自分分析です。
「自分」は一人ではありません
自分分析では、現在、こころの中に現れる自分を十に分けて見ています。
記号は整理のためにつけたもので、記号そのものが重要なのではありません。
N――愛や評価をもらうために「良い子」になる自分
親や周囲から愛してもらいたい。
認めてもらいたい。
嫌われたくない。
そのために、「良い子」になろうとする自分です。
子供のころ、
「素直な子でいなさい」
「迷惑をかけてはいけません」
「ちゃんとしていれば愛される」
という経験を重ねると、この自分が大きくなることがあります。
大人になってからも、
人の期待に応えようとする。
断れない。
嫌われないように振る舞う。
といった形で現れることがあります。
O――ご飯のために自分を抑えて社会適応する自分
人間は社会の中で生きています。
仕事をし、収入を得て、生活していかなければなりません。
そのためには、ある程度自分を抑えて社会に適応する必要があります。
「本当は嫌だけれど、仕事だから仕方がない」
「生活のためには続けなければならない」
という自分です。
これは生きていくために必要な自分です。
しかし、この自分だけが大きくなりすぎると、
何のために働いているのか、
何のために生きているのか、
分からなくなることがあります。
T――快楽を求める自分
おいしいものを食べたい。
旅行に行きたい。
お酒を飲みたい。
楽しいことをしたい。
快楽を求める自分です。
これも、人間の中に自然にある自分です。
問題は、快楽があることではありません。
不安や不満を紛らわせるために、過食、飲酒、買い物などに頼らなければならなくなっている場合には、
「一体、何から逃れようとしているのか」
を見る必要があります。
W――自由気ままに生きたい自分
人に縛られたくない。
好きなことをしたい。
自由に生きたい。
楽しく生きたい。
という自分です。
この自分が十分に生きられていると、人生に楽しさや活力が生まれます。
しかし、社会適応する自分と衝突すれば、
「仕事を辞めたい。でも辞められない」
「自由になりたい。でも生活が不安だ」
という葛藤が起こります。
K――人に自分の存在価値を認めさせようとする自分
仕事で成功したい。
人より優れた人間になりたい。
立派な人だと思われたい。
自分の能力や実績によって、
「私は価値のある人間だ」
と認めさせようとする自分です。
生かされてる医学では、これをプライドの自分とも呼びます。
この自分は非常に強いエネルギーになります。
一生懸命勉強する。
仕事で成果を上げる。
社会的に成功する。
その原動力にもなります。
しかし、
「成功していなければ自分には価値がない」
となれば、終わりのない競争になります。
一度成功しても、次はもっと大きな成功が必要になります。
人に勝っても、次にはもっと優れた人が現れます。
そして最後には、過去の自分自身とも競争しなければならなくなります。
PK――自分の価値を認めたうえで、評価や愛が欲しい自分
Kほど、
「私の価値を認めさせてやる」
とは思っていない人もいます。
むしろ、
「そんなに認めさせたいわけではない」
「ただ、私という人間をちゃんと分かってほしい」
「そのうえで愛してほしい」
と思います。
一見するとKとはかなり違います。
しかし、
「私の価値を認めたうえで評価してほしい」
のであれば、自分の価値を何らかの方法で示さなければなりません。
そのため、根底ではKと共通する部分があります。
生かされてる医学では、この受身的なKをPKと呼んでいます。
S――人の笑顔を見たい自分
人に喜んでもらいたい。
家族に幸せになってほしい。
人の笑顔を見るとうれしい。
という自分です。
一見すると、すべて無条件の優しさのように見えます。
しかし、自分分析では、ここも丁寧に見ます。
人に喜んでもらうことで自分も評価されたいのか。
相手を自分の思うようにしたいのか。
自分がしてほしかったことを相手にしているのか。
道徳的に「優しくしなければならない」と思っているのか。
それとも、本当に見返りを必要としない優しさなのか。
同じ「人のためにする」という行動でも、こころの中身は同じとは限りません。
F――「自分自身を生きたい」と願う自分
社会には適応している。
仕事もしている。
周囲から見れば問題なく生活している。
それでも、
「何かが違う」
「これは自分の人生ではない」
と感じることがあります。
本当の自分が何であるかは、まだ分からない。
しかし、
「このままでは嫌だ」
「自分自身の人生を生きたい」
という声がある。
その自分をFと呼んでいます。
Fは非常に重要な自分です。
しかし、FそのものがF0ではありません。
「本当の自分を生きたい」という願いを持つ自分と、「すべての自分を俯瞰する誰でもない私」とは区別する必要があります。
はっきりしない自分、何が問題? 性格分析と新型ストレスで紐解いていく
【動画を見る】
「やりたいことが分からない」
「特別大きな不満はない」
「しかし、何かこのままでは嫌だ」
という状態を扱った症例です。
F――「自分を生きたい自分」そのものが十分に育っていない、あるいは抑え込まれている場合には、本人自身にも「何をしたいのか」が分からなくなります。
自分分析が必要になる理由を理解するうえで適した動画です。
S4――ふと現れる、無条件・無償の優しさ
見返りを求めない。
褒められなくてもよい。
自分の利益にならなくてもよい。
ただ、その人を大切にしたい。
ふと自然に現れる、そのような優しさをS4と呼んでいます。
これは、
「優しい人にならなければならない」
という道徳的な自己説得とは違います。
意志の力で作るものでもありません。
生かされてる医学では、説明的にはS4を「内なるYu」と位置づけています。
Z――死の恐怖を感じている自分
そして、最も深いところに、
Z――死の恐怖を感じている自分があります。
人間は、自分がいつか死ぬことを知っています。
また幼い子供にとって、
親に捨てられること、
愛されないこと、
ご飯をもらえないことは、
単なる人間関係の問題ではありません。
生存そのものに関わる問題です。
そのため、
「良い子でなければならない」
「ちゃんと社会に適応しなければならない」
「人に認められなければならない」
というこころの奥に、強い不安が存在していることがあります。
生かされてる医学では、その根底にある死の恐怖をZとして見ます。
存在の二重否定
【動画を見る】
子供がまず「良い子」になることで自分を抑え、さらに「強い子、立派な子、社会に適応できる子になりなさい」と求められることで、不安を感じている自分まで否定していく。
生かされてる医学でいう「存在の二重否定」を通して、なぜ社会適応がこころの中で非常に強い力を持つようになるのかを説明しています。
※この動画はF0導入以前の用語を一部含みます。F・S4・F0の最終的な位置づけについては、この公開講座本文の現行整理を基準としてください。
同じ出来事でも、「どの自分」が苦しんでいるかで意味が違います
たとえば、
「仕事に失敗した」
という一つの出来事を考えてみます。
一見すると、
「仕事に失敗してつらい」
という一つの悩みに見えます。
しかし、自分分析をすると違って見えてきます。
Oの自分なら、
「収入を失い、生活できなくなるのが怖い」
のかもしれません。
Nなら、
「周囲からダメな人間と思われ、評価や愛を失うのがつらい」
のかもしれません。
Tなら、
「好きなことを楽しむ経済的余裕を失うことがつらい」
のかもしれません。
Wなら、
「自由に生きられなくなることがつらい」
のかもしれません。
Kなら、
「成功によって証明していた自分の存在価値が崩れることがつらい」
のかもしれません。
Sなら、
「自分が支えていた人たちを喜ばせることができなくなることがつらい」
のかもしれません。
Fなら、
「自分自身を生きることができないことがつらい」
のかもしれません。
一つだけとは限りません。
二つ、三つ、あるいはそれ以上の自分が同時に動いていることもあります。
しかし、
「仕事に失敗してつらい」
だけでは見えなかったこころの構造が、
「どの自分が、何を失うことを怖がっているのか」
と問い直すことで、具体的に見えてきます。
ここが自分分析の重要なところです。
「手段」と「本当に求めているもの」を分けて考える
自分分析には、もう一つ大切な意味があります。
私たちは、
「これができなければ幸せになれない」
と思い込むことがあります。
この会社で成功しなければならない。
この人と結婚しなければならない。
この仕事で評価されなければならない。
若くなければならない。
この学校に入らなければならない。
しかし、本当に必要なのは、その「手段」なのでしょうか。
たとえば、
ある仕事で成功したいという願いがあったとします。
自分分析をしてみると、
本当に欲しかったものは、
収入だったのかもしれない。
人からの評価だったのかもしれない。
自由だったのかもしれない。
自分の能力を発揮する喜びだったのかもしれない。
人の笑顔だったのかもしれない。
「この仕事でなければならない」
のではなく、
「私は一体、何を満たそうとしていたのか」
が分かれば、別の方法が見えてくることがあります。
一つの道が閉ざされても、自分の人生そのものが閉ざされたわけではありません。
自分分析は、
手段に縛られていたこころをほどき、人生の可能性を広げる方法でもあります。
自分分析は、「好きなことをすればよい」という方法ではありません
ここで誤解してはいけないことがあります。
自分分析は、
「本心を探して、好きなことだけをすればよい」
という方法ではありません。
私たちは社会の中で生きています。
仕事も必要です。
収入も必要です。
家族や周囲との関係も必要です。
社会適応をすべて捨てればよいわけではありません。
また、
「これが本当の自分だ」
と一つの自分だけを選んで、それ以外を排除することでもありません。
Nも自分です。
Aも自分です。
Tも自分です。
Wも自分です。
Kも、PKも、Sも、Fも、S4も、Zも、
すべて自分の中に存在します。
大切なのは、
どれか一つに乗っ取られないことです。
症例で見ると、自分分析の意味が分かります
M子さんの場合
38歳のM子さんは、仕事が非常によくできる方です。
一方で、結婚して子供も欲しいという気持ちがあります。
しかし、仕事と結婚・子育てを両立できるか心配になり、長年頑張り続けた結果、疲れ切り、休職する状態になりました。
一見すると、
「仕事か結婚か」
という問題に見えます。
しかし、自分分析をすると、それだけではありません。
M子さんは4人きょうだいの長女として育ち、
「しっかりしたお姉さんであること」
を求められてきました。
その一方には、
親から愛されたい自分があります。
親の期待に応えて、しっかり生きなければならない。
仕事でも立派でなければならない。
これはNやK・PKの問題として見ることができます。
一方、
結婚して子供が欲しいという願いにも、
世間体、
親の期待、
家族の笑顔を見たい気持ち、
老後の孤独への不安など、
複数の自分が関係しています。
つまり、
「仕事を続けるか」
「結婚するか」
という二者択一だけを考えていても、問題は解決しません。
その選択の背後で、
どの自分が、何を求めているのか
を明らかにする必要があるのです。
M子さんの仕事と結婚の行き詰まり
この症例では、一つの人生問題の背後にN、K、PK、S、Fなど複数の自分がどのように重なっているのかを具体的に見ることができます。
「何を選択するか」をすぐに決めるのではなく、
「なぜ、それを選びたいのか」
を一つずつ分析していくことが、自分分析の中心です。
自分分析で見つけた十の自分は、「本当の私」ではありません
ここが、現在の生かされてる医学で非常に重要な点です。
十の自分を分析していくと、
「では、どれが本当の自分なのか」
という疑問が出てきます。
Fが本当の自分なのでしょうか。
S4なのでしょうか。
そうではありません。
十の自分はすべて、
観察される自分
です。
怒っている自分を見ることができます。
不安になっている自分を見ることができます。
人から認められたがっている自分を見ることができます。
自由になりたがっている自分を見ることができます。
「このままでは嫌だ」と叫んでいるFを見ることもできます。
では、
それらを見ているのは誰なのでしょうか。
生かされてる医学では、
自分分析の十の自分、
新型ストレスの第1・第2・第3の自分、
性格分析のA・B・C・D・Eなど、
それらすべてを俯瞰している「誰でもない私」を、
F0――すべての自分を俯瞰している「誰でもない私」
と呼んでいます。
F0は、
十の自分の次に十一番目の自分を加えたものではありません。
どの自分にも同一化せず、
それらすべてを見ることのできる位置です。
自分分析だけでF0になることはできません
自分分析を深く行えば、
「自分の中にこんなにいろいろな自分がいたのか」
と気づくことができます。
しかし、
自分分析だけでF0を体得することはできません。
ここに丹田呼吸法が必要になります。
丹田呼吸法によるゼロ体験では、
過去からつくられたさまざまな自分への同一化が一瞬静まり、
それらを俯瞰しているF0を感じ、つかみ、F0に戻る力を育てます。
一方、自分分析では、
自分のこころの中に何が存在しているのかを明らかにします。
つまり、
自分分析によって、
「何に振り回されているのか」を知り、
ゼロ体験によって、
「それらの自分だけが私ではない」ことを体得していく。
この二つは、別々ではありません。
同時に進める必要があります。
「本当の自分」を新しく作らないために
自分分析をすると、
「では、Fを大きくしよう」
「S4のような優しい人になろう」
と思うかもしれません。
しかし、生かされてる医学では、そのようには考えません。
「私は本当の自分を生きなければならない」
「私はもっと優しくならなければならない」
となれば、
それ自体が新しい「こうあるべき自分」になってしまうからです。
Fを無理に大きくするのでもありません。
S4を意志で作るのでもありません。
こころ分析を続け、
丹田呼吸法によるゼロ体験を重ね、
生かされてる医学的事実を見つめ、
必要なサポートを受けながら、
Z――死の恐怖の支配から少しずつ自由になっていく。
その過程でF0体験を重ねます。
そしてF0にあるとき、私の体得では、S4と自然に一体化します。
これをF0S4と呼んでいます。
自分分析は、「答えを決める方法」ではありません
仕事を辞めるべきか。
結婚するべきか。
離婚するべきか。
転職するべきか。
人間関係を切るべきか。
自分分析は、このような問いに、
「こちらが正解です」
と答える方法ではありません。
その前に、
なぜ辞めたいのか。
なぜ続けたいのか。
何が怖いのか。
何を失いたくないのか。
誰に認めてもらいたいのか。
何を本当に大切にしたいのか。
自分の中の一つ一つの自分を見ていきます。
そうすると、
今まで一つの大きな悩みにしか見えなかったものが、
いくつもの自分の関係として見えるようになります。
それだけでも、
「何が何だか分からない」
という状態から一歩離れることができます。
自分分析は、自分を一つに決めるためではなく、
さまざまな自分から自由になるための方法です
私たちは、
過去につくられた一つのセルフイメージを、
「これが私だ」
と思って生きています。
しかし、こころの中を見れば、
良い子になろうとする自分。
社会適応する自分。
快楽を求める自分。
自由を求める自分。
人に認めさせようとする自分。
認めて愛してほしい自分。
人の笑顔を見たい自分。
このままでは嫌だ、自分を生きたいと願う自分。
無条件の優しさを感じる自分。
死を恐れている自分。
さまざまな自分がいます。
それらのどれか一つを、
「これこそ本当の私だ」
と決める必要はありません。
まず、
「今、どの自分が動いているのだろう」
と見てみる。
そして、
「この自分は、何を求めているのだろう」
と見てみる。
さらに、
「その自分を見ている私は誰なのだろう」
と進んでいく。
自分分析は、
「私は何者なのか」
という問いに、頭の中で答えを作るための方法ではありません。
過去からつくられたさまざまな自分を一つ一つ明らかにし、
それらに振り回される状態から少しずつ自由になっていくための方法です。
性格分析。
新型ストレス。
自分分析。
この三つを通してこころを明らかにしながら、
丹田呼吸法によるゼロ体験を重ねる。
そして、生かされてる医学的事実を見つめる。
生かされてる医学では、これらを別々に行うのではなく、同時に、何度も繰り返しながら進んでいきます。
自分分析はその中で、
「自分だと思っていたものの中には、実はいくつもの自分がいた」
と発見し、
そのすべてを俯瞰するF0へ向かうための、大切なこころ分析の方法なのです。
次に学ぶ
【性格分析を学ぶ】
【丹田呼吸法を学ぶ】