生かされてる医学的事実
「私は自分で生きている」のでしょうか
――まず、生命の事実そのものを見つめる
私たちは普通、
「私は自分で生きている」
と思っています。
自分で考え、
自分で決め、
自分で働き、
自分で人生を生きている。
確かに、社会生活について見れば、その通りです。
しかし、医学的に身体そのものを見てみると、全く違った世界が見えてきます。
今この瞬間も心臓は動いています。
肺では呼吸が行われています。
腎臓では血液が濾過されています。
肝臓ではさまざまな代謝が行われています。
自律神経系、内分泌・ホルモン系、免疫系も、全身の状態に応じて働き続けています。
しかし、
その一つ一つを、私が意識して動かしているわけではありません。
眠っている間にも心臓は動きます。
意識を失っていても、多くの生命活動は続きます。
「次の一回、心臓を動かそう」
と考えなくても、心臓は動いています。
生かされてる医学は、まず、この単純な医学的事実から出発します。
私たちは、自分だけの力で生きているのではありません。
医学的に見れば、私たちは「生かされて生きている」のです。
一個の受精卵から、約37兆個の細胞へ
私たちの身体は、一個の受精卵から始まります。
そこから細胞分裂を繰り返し、成人では約37兆個もの細胞からなる身体になります。
しかし、その約37兆個の細胞のうち、
私が自分の意志で作った細胞は一個もありません。
一個の受精卵が二個になり、
四個になり、
さらに分裂を繰り返していきます。
しかも、ただ同じ細胞が増えるのではありません。
心臓になる細胞。
肺になる細胞。
肝臓になる細胞。
腎臓になる細胞。
脳になる細胞。
骨になる細胞。
皮膚になる細胞。
それぞれが分化し、異なった役割を持つ臓器や組織を作ります。
そして、そのすべてがばらばらに動くのではなく、
一つの生命として調和して働いています。
一個の細胞だけを見ても、非常に複雑な生命活動が行われています。
その細胞が約37兆個集まり、一つの人間として生命を保っている。
これを私たちは毎日当然のこととして生きています。
しかし、改めて考えてみれば、非常に大きな事実です。
「生かされてるのは医学的事実です ― 本当の存在価値は壊れない」
【動画を見る】
一個の受精卵から約37兆個の細胞になり、それぞれが臓器を作り、全身が調和して生命を維持しているというところから、
「本当に私は自分だけで生きているのだろうか」
という問いを見ていく動画です。
生かされてる医学的事実を初めて学ぶ方には、まずこの動画を見ていただくのがよいと思います。
一つの腎臓を見るだけでも、驚くような仕組みがあります
身体全体を一度に考えると、あまりにも大きすぎて実感しにくいかもしれません。
そこで、生かされてる医学では、一つの具体例として腎臓を取り上げています。
腎臓は左右に一個ずつある、比較的小さな臓器です。
そこへ腎動脈から血液が入ります。
血管は繰り返し細かく枝分かれし、一個の腎臓には約100万個の腎小体があります。
腎小体では血液が濾過されます。
しかし、単に不要なものを捨てるだけではありません。
一度濾過したものの中から、身体に必要な水分や物質を再吸収し、再び体内へ戻します。
つまり、
濾過する。
必要なものを見分ける。
必要なものを戻す。
不要なものを尿として排泄する。
という精巧な働きを、私たちが眠っている間も続けています。
私たちは、
「今日は腎臓を動かそう」
とは考えていません。
腎臓を自分で設計したこともありません。
血管を一本一本作ったこともありません。
腎小体を100万個配置したこともありません。
それでも、この仕組みは働いています。
生かされてる医学では、このような医学的事実を、
ただ知識として覚えるのではなく、
「これは一体どういうことなのだろう」
と立ち止まって見つめます。
「生かされてる医学的事実―腎臓の動脈は100万本に分かれる」
【動画を見る】
腎臓という一つの臓器を取り上げ、生命がどれほど精巧な仕組みによって保たれているのかを具体的に見ていく動画です。
「生かされている」という言葉を思想としてではなく、まず身体の事実から考えるために適した動画です。
身体だけで生きているのでもありません
さらに考えてみましょう。
どれほど立派な身体があっても、酸素がなければ生きられません。
水がなければ生きられません。
食物がなければ生きられません。
私たちは、自分の身体の中だけで完結して生きているのではありません。
植物は太陽の光、二酸化炭素、水を利用して光合成を行います。
そこから酸素や、生命を支える有機物が生まれます。
植物があり、
動物があり、
微生物があり、
水があり、
大気があり、
太陽があります。
その巨大な生命のつながりの中に、人間も存在しています。
つまり、
「私」という生命は、身体の外側にまで広がった大きな生命の世界に支えられています。
自分だけを切り離して、
「私は一人で生きている」
とは医学的にも生物学的にも考えられません。
生かされてる医学でいう「生かされている」とは、まず、このような生命の事実を指しています。
「生かされている」は信仰ではなく、出発点となる事実です
ここは非常に重要です。
「生かされている」と聞くと、
宗教的な言葉だと思われる方がいるかもしれません。
しかし、生かされてる医学では、
最初から創造者の存在を信じてください、
と要求しているのではありません。
まず見るのは、
身体がどのようにできているのか。
身体がどのように維持されているのか。
自分はそれをどこまで自分の意志で行っているのか。
という事実です。
一個の受精卵から身体が作られた。
自分で細胞を作ったわけではない。
心臓を自分で動かしているわけではない。
全身の代謝を自分で管理しているわけではない。
自然界から酸素、水、食物を与えられなければ生きられない。
ここまでは、生命についての事実です。
生かされてる医学では、
まず、この事実を事実として直視すること
を大切にします。
ここから先は、「事実」と「問い」を分けます
そして、ここから非常に重要な段階に入ります。
生命が驚くほど精巧な法則と調和によって保たれている。
これは事実です。
では、
この生命は偶然なのでしょうか。
それとも、
必然なのでしょうか。
ここから先は、医学的事実そのものとは区別しなければなりません。
医学は、身体がどのような仕組みで働いているのかを明らかにすることができます。
しかし、
「なぜ、その生命が存在するのか」
「それが偶然なのか必然なのか」
「創造者が存在するのか」
までを、医学的事実だけで直接証明することはできません。
生かされてる医学では、ここを混同しません。
生かされていることは医学的事実です。
しかし、
それが偶然なのか必然なのかは、その事実を見ながら自分自身に問い続ける問題です。
「偶然なのか、必然なのか」を自分自身に問い続けます
一個の受精卵。
約37兆個の細胞。
複雑な臓器。
腎臓の精巧な濾過と再吸収。
自律神経系、内分泌・ホルモン系、免疫系。
そして自然界とのつながり。
こうした生命の事実を知れば知るほど、
私は、
「これほどのものが、本当にすべて偶然なのだろうか」
という問いを持つようになりました。
しかし、ここで、
「必然だと信じなさい」
と教えるのではありません。
事実を見ながら、
自分自身で問い続けます。
そのために、生かされてる医学では、
生かされてる医学的事実だけを単独で学ぶのではなく、
丹田呼吸法によるゼロ体験、
こころ分析、
そして学びを続けるためのサポートを同時に行います。
頭だけで結論を出すのではなく、
事実を見る。
体験する。
自分のこころを見る。
そして、また事実を見る。
それを繰り返します。
「私は必然の存在―医学的に生かしてくれているかぎりなく優しいYu(ユー)が存在する」
【動画を見る】
「生かされている」という医学的事実から、「それは偶然なのか、必然なのか」という問いへ進んでいく過程を扱っています。
ここから先は医学的事実そのものと、生かされてる医学としての理解とを分けながら見ていく必要があります。
Yuという考えに至った理由
生命の仕組みを長く見続ける中で、私は、
これは単なる偶然ではなく、
必然ではないか、
と考えるようになりました。
必然であるならば、
そこには何らかの設計や創造の働きがあるのではないか。
さらに、もう一つ大切なことがあります。
生命は、
「立派な人だから与えられる」
ものではありません。
感謝した人だけ心臓が動くのでもありません。
社会的に成功した人だけ腎臓が働くのでもありません。
失敗した人だから翌朝から太陽が昇らなくなるわけでもありません。
少なくとも生命は、
私たちの社会的評価とは無関係に与えられています。
このことを、私は、
無条件・無償で生かされている
と表現しています。
そして、
もし、この生命が必然であり、
しかも無条件・無償に与えられているのであれば、
その創造の根源は、限りなく優しいものではないか。
私はそう考えるようになりました。
そこで、この「限りなく優しい創造者」を、
「優」という意味から、
Yu
と名づけました。
したがって、生かされてる医学では、
「私たちはYuによって、大きな生命の世界の中で、素晴らしい法則と美しい調和、そして限りない優しさによって生かされている」
と考えます。
ただし、ここでも大切なのは、
Yuの存在そのものを、医学的事実として証明したと言っているのではない
ということです。
「生かされている」は医学的事実です。
そこから必然性やYuについて考えていくことは、生かされてる医学における理解と体得の過程です。
この区別は非常に重要です。
「かぎりなく優しいYu(創造主)が存在する―素晴らしい法則と美しい調和で生かされてる医学的事実は必然、そこからくる本当の存在価値―AI時代の健康医学に必要なもの」
【動画を見る】
「生かされている」という事実から、偶然と必然の問題、そしてYuという理解へどのように進んでいったのかを説明している動画です。
この動画を見る際にも、
「医学的事実」
と、
「その事実を見つめ続けた結果としての生かされてる医学の理解」
を分けて見てください。
そこから「本当の存在価値」を考えます
私たちは普通、
人から認められること。
仕事ができること。
社会的な地位があること。
お金があること。
能力があること。
若いこと。
健康であること。
こうしたものから、自分の存在価値を得ようとします。
もちろん、社会的な評価や能力は必要です。
社会の中で生きる以上、社会的存在価値も大切です。
しかし、それだけを自分の存在価値にすると、非常に不安定になります。
仕事を失えば、存在価値を失う。
病気になれば、存在価値を失う。
年を取れば、存在価値を失う。
人から否定されれば、存在価値を失う。
そしてArtificial Intelligence(AI、人工知能)が人間の知的能力を大きく上回る時代になれば、
「人間には何の価値があるのか」
という問題は、さらに大きくなるかもしれません。
しかし、
生かされているという生命そのものの事実から存在価値を見るならば、話は変わります。
仕事ができなくても、
年を取っても、
病気になっても、
人から評価されなくても、
生命の世界から、
「あなたには価値がない」
と排除されたわけではありません。
心臓は動いています。
呼吸は続いています。
生命は保たれています。
その意味で、生かされてる医学では、
社会的存在価値とは別に、
生きて存在していることそのものから来る存在価値
を考えます。
五つの発見へ
こうして「生かされてる医学的事実」を出発点として、私はさらに五つの発見として整理してきました。
第一は、
「生かされているのは医学的事実である」
ということです。
第二は、
「医学的に生かしてくれている、限りなく優しいYuが存在する」
という理解です。
第三は、
「死は『私』の終わりではない」
という発見です。
これは、死後の状態を科学的に証明したという意味ではありません。
身体が死んだ後を科学的に断定するのではなく、死を完全な虚無として恐れる世界から自由になっていった体得を表しています。
第四は、
「何もない私が素晴らしい」
ということです。
社会的な肩書きや能力や成功がなくても、
存在そのものの価値は失われない。
という理解です。
そして第五は、
「自分の山を登るのが人生の喜びである」
ということです。
人より上の山を登るのではありません。
人から評価される山を登るのでもありません。
F0――さまざまな「自分」を俯瞰する「誰でもない私」に戻りながら、自分自身の人生を生きていく。
その歩みを後から振り返ったとき、
「私は自分の山を登っていた」
と感じられる生き方です。
「本当の存在価値とは? 本当の存在価値は壊れない・第1話―現代人の5つの間違いと生かされてる医学の5つの発見」
【動画を見る】
「生かされているのは医学的事実」から始まり、なぜ生かされてる医学が五つの発見へ進んでいったのか、その全体像を見るための動画です。
生かされてる医学的事実は、「覚える知識」ではありません
ここで最も大切なことがあります。
「人間は約37兆個の細胞でできている」
と覚えるだけでは、生かされてる医学ではありません。
「腎臓には約100万個の腎小体がある」
と知るだけでもありません。
大切なのは、
その事実を自分自身の問題として見ることです。
この心臓を、本当に私が動かしているのだろうか。
この身体を、本当に私が作ったのだろうか。
私は、本当に一人で生きているのだろうか。
これほどの生命は、偶然なのだろうか。
一度答えを出して終わるのではありません。
何度も問い続けます。
頭で信じ込むのではなく、四つの方法を同時に行います
生かされてる医学では、
「Yuを信じればよい」
とは考えません。
また、
「私は素晴らしい」
と自分に言い聞かせることでもありません。
それでは自己説得になってしまいます。
そこで、
生かされてる医学的事実を学ぶ。
丹田呼吸法によるゼロ体験を行う。
性格分析、新型ストレス、自分分析からなるこころ分析によって、自分のこころを見つめる。
そして必要なサポートの中で学び続ける。
この四つを、別々ではなく同時に行います。
一度で分かろうとするのではありません。
同じことを繰り返しながら、
螺旋階段を上るように、
理解から確信へ、確信から実感へ
進んでいきます。
丹田呼吸法との関係
生かされてる医学的事実は、頭で理解する方法です。
しかし、頭だけでは、過去につくられた自分から自由になることは困難です。
そこで丹田呼吸法を行います。
丹田呼吸法によるゼロ体験では、
性格、
不安、
不満、
傷ついた自分、
人から評価されたい自分、
社会的な肩書き、
過去からつくられたセルフイメージが、
一瞬、意識の前面から静まります。
そのとき、
さまざまな自分を俯瞰するF0を体験します。
つまり、
医学的事実は「外の事実」を見る方法であり、
ゼロ体験は「自分の存在」を体験する方法です。
この二つを、こころ分析とともに繰り返していきます。
「生かされている」は、人生を受身にする言葉ではありません
「生かされている」と言うと、
「それなら何もしなくてもよいのか」
と思われるかもしれません。
そうではありません。
心臓が動いている。
身体が与えられている。
自然の中で生命が支えられている。
だからこそ、
その与えられた生命を、どう生きるのか
という問題が生まれます。
生かされていることを知ることと、
主体性を失うことは同じではありません。
むしろ、
社会から評価されるためだけに生きるのではなく、
恐怖だけに追われて生きるのでもなく、
F0に戻りながら、
そのときの自分を生きていく。
そこから「自分の山を登る」という第五の発見へつながっていきます。
まず、事実を見てください
生かされてる医学は、
「これを信じてください」
というところから始まりません。
まず、
自分の身体を見てください。
心臓を見てください。
呼吸を見てください。
一個の受精卵から始まった身体を見てください。
約37兆個の細胞を見てください。
腎臓を見てください。
自然界とのつながりを見てください。
そして、
「私は本当に、自分だけで生きているのだろうか」
と、自分自身に問いかけてください。
そこが、
「生かされてる医学」の出発点です。
そして、その事実を何度も見つめながら、
丹田呼吸法、
こころ分析、
必要なサポートを同時に続けていきます。
生かされてる医学的事実は、
単なる医学知識を学ぶための講座ではありません。
「私は何によって生きているのか」
「私の存在価値はどこから来るのか」
「私は何者なのか」
を、自分自身の生命の事実から問い直していくための方法なのです。
次に学ぶ
【丹田呼吸法を学ぶ】
【性格分析を学ぶ】
【自分分析を学ぶ】
【五つの発見を学ぶ】