生かされてる医学の「5つの発見」
私は何者なのか、なぜ生きるのか
生命の事実から、存在価値と生き方を見つめ直す
私たちは、毎日さまざまな問題に悩みながら生きています。
人からどう思われているのか。
仕事で認められるだろうか。
病気にならないだろうか。
老後は大丈夫だろうか。
自分には価値があるのだろうか。
死んだらどうなるのだろうか。
そして、
「私は一体、何のために生きているのだろう」
という問いにぶつかることもあります。
私は長年、健康医学・心身医学に取り組み、多くの人のこころと身体を見てきました。
その中で、目の前に現れている不安や不満だけを解決しようとしても、十分ではないと考えるようになりました。
なぜなら、そのもっと根底に、
「自分とは何か」
「人間とは何か」
「生きるとはどういうことか」
「死とは何か」
「自分の存在価値はどこにあるのか」
という問題があるからです。
そこで、生かされてる医学では、生命の医学的事実を出発点として、この問題を一つずつ考えてきました。
その中で見えてきたものを、
「5つの発見」
として整理しています。
5つの発見は、5つの根本的な問題への答えです
私たちは知らず知らずのうちに、
「自分で生きている」
「人間は偶然の産物である」
「死んだらすべて終わりである」
「人間の価値は社会からの評価で決まる」
「人と同じ山、あるいは人より高い山を登ることが人生である」
という世界を生きています。
これらは、普段ほとんど意識されません。
しかし、このような考えが根底にあると、
自分で自分を守らなければならない。
社会から認められなければならない。
人に負けてはいけない。
失敗してはいけない。
老いてはいけない。
病気になってはいけない。
死んではいけない。
という不安につながっていきます。
生かされてる医学の五つの発見は、この根底からもう一度、
「本当のところはどうなのか」
を見つめ直そうとするものです。
第1の発見
「生かされているのは医学的事実である」
最初の出発点です。
私たちは普通、
「私は自分で生きている」
と思っています。
しかし、身体を医学的に見てみるとどうでしょうか。
私たちは一個の受精卵から始まり、成人では約37兆個もの細胞からなる身体になります。
その細胞の一個一個を、自分の意志で作ったわけではありません。
心臓も自分の意志で動かしているわけではありません。
腎臓も、肝臓も、免疫系も、自律神経系も、私が意識して働かせているわけではありません。
眠っている間にも働き続けています。
さらに、酸素がなければ生きられません。
水がなければ生きられません。
食物がなければ生きられません。
植物、動物、微生物、太陽、水、大気。
大きな生命のつながりの中で、私たちの生命は保たれています。
したがって、
「私は自分だけの力で生きている」のではなく、「生かされて生きている」
というのが、生かされてる医学の第一の出発点です。
ここについては、思想や信仰から出発する必要はありません。
まず身体と生命の事実を見ることができます。
動画
「生かされてるのは医学的事実です ― 本当の存在価値は壊れない」
【動画を見る】
一個の受精卵から約37兆個の細胞へと成長し、多くの臓器が調和して生命を維持している事実から、
「本当に私は自分で生きているのだろうか」
という問いを考える動画です。
第2の発見
「医学的に生かしてくれている、限りなく優しいYuが存在する」
ここからは、第1の発見とは少し性質が違います。
「生かされている」ことは医学的事実です。
しかし、
「なぜ、このような生命が存在するのか」
「生命は偶然なのか、必然なのか」
について、医学だけで直接証明することはできません。
ここは明確に区別しておく必要があります。
約37兆個の細胞。
一個の細胞の複雑な働き。
さまざまな臓器。
自律神経系。
内分泌・ホルモン系。
免疫系。
そして自然界全体との調和。
医学を学べば学ぶほど、生命は驚くほど精巧な法則と調和によって保たれていることが分かります。
私は、この事実を長年見続ける中で、
「これは本当にすべて偶然なのだろうか」
という問いを持つようになりました。
そして、
「偶然ではなく、必然ではないか」
という理解へ進みました。
さらに、必然であるならば、そこには創造の働きがあるのではないかと考えるようになりました。
もう一つ重要なことがあります。
私たちの生命には、
社会的な条件がつけられていません。
社会的に成功しているから心臓が動くのではありません。
人から高く評価されているから腎臓が働くのでもありません。
失敗したから生命活動を止められるわけでもありません。
生命は、私たちの社会的評価とは無関係に与えられています。
私はこれを、
「無条件・無償で生かされている」
と考えました。
もし、この生命が必然であり、しかも無条件・無償に与えられているのであれば、その根源は限りなく優しいものではないか。
その「限りなく優しい創造者」を、「優」という意味から、
Yu
と名づけました。
したがって第2の発見は、
「医学的に生かしてくれている、限りなく優しいYuが存在する」
というものです。
ただし、これは「医学がYuの存在を科学的に証明した」という意味ではありません。
医学的事実を見続け、ゼロ体験、こころ分析などを重ねながら、私自身が理解から確信へ、さらに実感へと進んできた、生かされてる医学の理解です。
動画
「かぎりなく優しいYu(創造主)が存在する―素晴らしい法則と美しい調和で生かされてる医学的事実は必然、そこからくる本当の存在価値ーAI(人工知能)時代の健康医学に必要なもの」
【動画を見る】
「生かされている」という医学的事実から、偶然なのか必然なのかを問い、さらにYuという理解へどのように進んだのかを説明しています。
第3の発見
「死は『私』の終わりではない」
人間にとって、死は最も根源的な問題の一つです。
「死んだら灰になって、すべてなくなる」
と思えば、
どれほど社会的に成功しても、
どれほど財産を持っていても、
最後にはすべて失われます。
その意味では、死の恐怖は、私たちの不安の非常に深いところに存在しています。
では、
「死んだら私はなくなる」
ということは、科学によって証明されているのでしょうか。
身体が死ぬことは医学的に確認できます。
細胞も生命活動を失います。
しかし、
「私」という存在そのものが身体と同時に完全な虚無になる、
ということまで科学が証明したわけではありません。
そこで生かされてる医学では、
「本当の私は一体何なのか」
という問いに戻ります。
身体のどこに「私」がいるのでしょうか。
腕を失ったら、「私」は小さくなるのでしょうか。
身体の細胞が入れ替わっても、「私」は私です。
そして丹田呼吸法によるゼロ体験では、
過去からつくられたさまざまな自分が静まり、
F0――さまざまな「自分」を俯瞰する「誰でもない私」――を体験します。
この体験と、生命についての医学的事実を重ねながら、私は、
「身体の死が、そのまま『私』の完全な終わりであるとは言えない」
という理解へ進みました。
ここでも重要なのは、
「死後の世界を科学的に証明した」
と言っているのではないことです。
私は、身体が死んだ後の状態を科学的に断定しません。
第3の発見、
「死は『私』の終わりではない」
とは、私にとって、
死を「完全な虚無」として恐れる世界から自由になってきた体得を表しています。
動画
「死は『私』の終わりではない・第1回 私のライフワーク ~ 本当の存在価値とは? 本当の存在価値は壊れることはない」
【動画を見る】
なぜ「生と死」が私自身のライフワークとなったのかから始まり、「死んだら灰になって終わり」という考えを改めて問い直していくシリーズの第1回です。
第4の発見
「何もない私が素晴らしい」
第1、第2、第3の発見を見ていくと、
存在価値の問題が変わってきます。
私たちは、
学歴がある。
仕事ができる。
社会的地位がある。
収入が多い。
人から評価されている。
若い。
健康である。
能力がある。
こうしたことから、自分の価値を得ようとします。
もちろん、それらは社会生活の中では大切です。
生かされてる医学も、社会的存在価値を否定しているのではありません。
仕事をし、
役割を果たし、
社会の中で生活していくためには必要です。
しかし、
社会的存在価値と、人間としての存在価値を同じものにしてしまうと苦しくなります。
仕事を失えば、自分の価値も失ったように感じる。
病気になれば、価値がなくなったように感じる。
年を取れば、必要とされなくなったように感じる。
人から否定されれば、
「私はダメな人間だ」
と思う。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
大きな生命の世界から見れば、
仕事ができるかどうかとは無関係に、
今も生命は保たれています。
社会的評価とは無関係に、
生かされています。
Yuの世界という生かされてる医学の理解に立てば、
生命そのものは無条件・無償で与えられています。
そこから、
「何かがあるから私は素晴らしい」のではない。
「何もない私が素晴らしい」
という第4の発見へ進みます。
ここでいう「何もない」とは、
本当に何も存在しないという意味ではありません。
肩書きがなくてもよい。
人より優れていなくてもよい。
人から高く評価されなくてもよい。
社会的な飾りをすべて外しても、
「私はここにいる」
という存在そのものの価値は失われない、
という意味です。
これは、
「私は素晴らしい人間だ」
と自己暗示をかけることとは違います。
社会的評価とは別のところに、自分の存在価値を見るということです。
動画
「本当の存在価値はかぎりなく優しいYuから来る ~ AI(人工知能)時代の存在価値喪失の処方箋」
【動画を見る】
能力や社会的評価だけに存在価値を求めることの限界と、大きな生命の世界から見た存在価値について考える動画です。
第5の発見
「自分の山を登るのが人生の喜びでです」
では、
「何もない私が素晴らしい」
と分かったら、
何もせずに生きればよいのでしょうか。
そうではありません。
私たちは自我に目覚めた人間です。
ただ生存しているだけではなく、
「自分自身を生きたい」
という願いを持っています。
ところが、私たちは小さい頃から、
親の期待、
学校の評価、
世間の常識、
社会の価値観、
他人との比較、
競争、
さまざまなものの中で生きてきました。
そのため、
「自分は何をしたいのか」
よりも、
「何をすれば認めてもらえるのか」
を優先するようになります。
人が登っている山を見て、
自分もその山を登ろうとする。
あるいは、
人より高い山へ登ろうとする。
しかし、どれほど高く登っても、
それが自分の山でなければ、こころの底から喜ぶことはできません。
一方、
「自分の山を登る」
という言葉も誤解されやすいものです。
「人のことは考えず、好き勝手に生きればよい」
という意味ではありません。
生かされてる医学では、
丹田呼吸法によるゼロ体験を通して、
F0――さまざまな自分を俯瞰する「誰でもない私」――に戻ることを学びます。
そしてF0にあるとき、私の体験では、
S4――見返りを求めず自然に現れる無条件・無償の優しさ――と自然に一体になります。
これを、
F0S4
と呼んでいます。
誰かに勝つために生きるのではありません。
自分だけの利益を追求するのでもありません。
自分に与えられた能力や個性を生かし、
自分自身を生きながら、
同時に他者の存在や喜びも大切にする。
そのように生きていった結果を振り返ったとき、
「私は自分の山を登ってきた」
と言える。
それが、第5の発見です。
動画
「44年間で1番うれしかった取材 ― NHKこころの時代『自分の山を登る―21世紀の健康医学をめざして』―淡路島 五色県民健康道場の卒業生2万3千人のための健康医学講座―自己肯定感と存在価値の心身医学」
【動画を見る】
長年目指してきた「21世紀の健康医学」と、「自分の山を登る」という考えがどのようにつながってきたのかを振り返る動画です。
5つの発見は、一つにつながっています
5つの発見は、別々の5つの教えではありません。
最初に、
「私は自分だけで生きているのではない」
という生命の事実を見る。
そこから、
「この生命は本当に偶然なのだろうか」
と問い、
Yuという理解へ進む。
すると、
「死んだらすべて無になる」
という前提も、もう一度問い直すことになります。
そして、
社会的評価だけが人間の価値なのではなく、
「何もない私が素晴らしい」
という存在価値が見えてきます。
存在価値を社会から必死にもらわなくてもよくなれば、
今度は、
「では、私はこの生命をどう生きるのか」
という問いが残ります。
そこから、
「自分の山を登るのが人生の喜びである」
という第5の発見へ進みます。
つまり、五つの発見は、
生命 → 存在の由来 → 死 → 存在価値 → 生き方
という一つの流れなのです。
最初から5つを信じる必要はありません
ここは、とても大切です。
生かされてる医学では、
5つの発見を最初から、
「正しいから信じなさい」
と求めているのではありません。
特に、
第2の「Yuが存在する」
第3の「死は『私』の終わりではない」
について、
初めて聞いた方がすぐに納得できないのは当然だと思います。
それで構いません。
まず、
「本当なのだろうか」
と問いを持ってください。
第1の発見については、身体と生命の医学的事実を見ることができます。
その事実を見ながら、
第2、第3、第4、第5についても、
自分自身で確かめていきます。
頭だけで理解するのではありません
5つの発見は、
本を読んで覚えるだけでは、自分のものにはなりません。
たとえば、
「生かされている」
と頭で理解していても、
病気が怖くなれば、
「自分で何とかしなければ」
という自分にすぐ戻ります。
「何もない私が素晴らしい」
と頭で理解していても、
人から否定されれば傷つきます。
「自分の山を登ろう」
と思っていても、
人から評価される山へ向かってしまいます。
そこで、生かされてる医学では4つの方法を同時に行います。
生かされてる医学的事実を見つめる。
丹田呼吸法によるゼロ体験を行う。
性格分析、新型ストレス、自分分析からなるこころ分析を行う。
そして必要なサポートの中で、学びと体験を続ける。
この4つを、
一度行って終わるのではなく、
何度も繰り返します。
螺旋階段を上るように、
少しずつ、
理解から確信へ、確信から実感へ
進んでいきます。
5つの発見とF0S4
5つの発見を学ぶことの最終目的は、
5つの文章を暗記することではありません。
丹田呼吸法によるゼロ体験では、
過去からつくられたさまざまな自分への同一化が静まります。
性格分析の自分。
新型ストレスの第1・第2・第3の自分。
自分分析で見つけた多くの自分。
それらすべてを俯瞰する、
F0――「誰でもない私」――を体験します。
そしてF0にあるとき、
S4――無条件・無償の優しさ――を意志で選ぶ必要はありません。
私の体験では、自然にS4と一体になります。
これをF0S4と呼んでいます。
このとき、
「自分を生きる」
ことと、
「人に優しくする」
ことが対立しません。
自分を犠牲にして他人のために生きる必要もありません。
他人を押しのけて自分だけを生きる必要もありません。
自分の生命を生きながら、
他者の生命も大切に感じる。
その生き方を続けた結果として、
「自分の山」ができていく。
5つの発見は、そのような生き方につながっていきます。
5つの発見は、「答え」ではなく、自分で確かめていく問いでもあります
自分で生きているのか。
生かされているのか。
生命は偶然なのか。
必然なのか。
「私」とは身体だけなのか。
死とは何なのか。
自分の存在価値は、誰が決めるのか。
人から評価されなければ、私は価値のない人間なのか。
私は誰の人生を生きているのか。
私の山とは何なのか。
これらを、
誰かの答えをそのまま受け入れるのではなく、
自分自身の生命とこころを通して確かめていく。
それが、生かされてる医学の学びです。
まず全体を知りたい方へ
「本当の存在価値とは? 本当の存在価値は壊れない・第1話―現代人の5つの間違いと生かされてる医学の5つの発見」
【動画を見る】
5つの発見がなぜ必要になったのか、その背景にある「現代人の5つの間違い」と合わせて、全体像を知るための動画です。
初めて5つの発見を学ぶ方は、まずこの動画を見てから、それぞれの発見を一つずつ考えてみてください。
過去動画の用語について
生かされてる医学は、長年の臨床、学び、体験を通して少しずつ整理を続けています。
そのため、過去動画には現在とは異なる用語や説明が含まれている場合があります。
現在は、
F0を「さまざまな自分を俯瞰する『誰でもない私』」、
S4を「無条件・無償の優しさ」、
そしてF0にあるときS4と自然に一体となる状態を
F0S4
と整理しています。
この公開講座では、現在の整理を基準にしてください。
生命の事実から、自分の人生へ
5つの発見の始まりは、
難しい哲学ではありません。
今、心臓が動いている。
今、呼吸している。
今、生きている。
そこから始まります。
そして、
「私は生かされている」
という事実を見つめる。
その生命は偶然なのかを問い続ける。
死とは何かを問い直す。
社会的評価とは別の存在価値を見つめる。
そして最後に、
「この与えられた生命を、私はどう生きるのか」
という問いへ進みます。
その答えを他人に決めてもらうのではありません。
過去につくられた自分だけで決めるのでもありません。
F0に戻りながら、
一日一日を生きていく。
そして振り返ったとき、
「これが私の山だった」
と言える人生を生きる。
5つの発見は、
生かされてる医学が目指している、
「生きていることを実感し、自分自身を生き、同時に周りの人も大切にできる生き方」
へ進むための、5つの大切な道標なのです。
さらに詳しく学ぶ
【丹田呼吸法を学ぶ】
【性格分析を学ぶ】
【自分分析を学ぶ】