AI時代に起こることは存在価値喪失だけではない
皆さん、こんにちは。
今日も、心と体の健康医学についてお話しします。
特にこれからは、AI(Artificial Intelligence:人工知能)がものすごい勢いで進化してきます。AIの時代になったとき、健康医学はどのような問題を抱えることになるのでしょうか。
もし問題があるのであれば、今の段階でそれを明らかにし、早い時期から対策を立てていかなければならないと思います。
まず、AIはまさに「知能」です。その知的能力は、人間よりもはるかに高くなっていくと考えられます。
一方、私たちの社会は、知的な能力によって進化してきました。
そうすると、知的能力を必要とする分野は、まさにAIが最も得意とするところですから、当然、現在の社会の仕組みを成り立たせているさまざまな仕事を、AIが人間に代わって行うようになります。いわば、人間の役割をAIが担ってしまうということです。
そのとき、何が起こるのでしょうか。
私たちは、知的な能力を使って社会に適応し、それによって自分の存在価値を得てきました。
ところが、その役割をAIが担うようになると、自分の存在価値が失われていくということが起こってきます。
そうなれば、人生を喜ぶことが難しくなると思います。生きている充実感が低下してくるからです。
人間は心身相関の中で生きています。心と体は一つになって生きています。
そのため、心が喜べなくなり、生きている実感がなくなり、無気力・無感動になってくると、当然、心身相関によって体の状態も悪化してきます。
その結果、心も体も健康でなくなってしまうことが起こってくるでしょう。
では、どうすれば自分の存在価値を得ることができるのでしょうか。
社会適応以外のことをすればよいではないか、という考え方もあります。
これまで私たちは、社会に適応するために、本当にしたいことをずいぶん我慢してきました。
だから、これからは自分が本当にしたいと思うことをどんどんすればよいではないか、という考え方です。
しかし、果たしてそれだけでよいのでしょうか。
社会の中で自分の存在価値を失ったとき、私たち人間、ホモ・サピエンスはどうなるのでしょうか。
これまでは、人間がさまざまなことを決定してきました。
しかし、知的能力を必要とすることをAIが行うようになれば、人間の存在価値が低下し、充実感も失われていきます。
そのような状態で、
「楽しいことをすればよい」
と言われても、それほど楽しくは感じられないのではないでしょうか。
その結果、無気力・無感動が起こってくることが心配されます。
これは比較的分かりやすい問題です。
しかし、さらに考えなければならないのは、それだけで済むのかという問題です。
私はずっと健康医学一筋で取り組んできました。
現在でさえ、私たちが本当に心も体も健康に生きることが、いかに難しいかということを、長年の経験を通して感じてきました。
そのため、AIの時代になったときにどうなるのかという問題は、かなり深刻なものだと考えています。
そこで、もっと根本から見ていきたいと思います。
私たち人間の大きな特徴は何かと言えば、「本能から自我に目覚めた」ということです。
本能から自我に目覚めるということは、実は非常に大きな出来事です。
「私」と「あなた」は違う存在であるということに目覚めるため、そこから孤立と孤独が生まれます。
さらに、私たちには知的能力がありますから、自分が必ず死ななければならないということも分かります。
人間は100パーセント死ななければなりません。
「死が必ず訪れる」ということを知っている存在です。
これが、本能から自我に目覚めた人間の状態です。
私たちは、このような状態で生まれてきます。
そのとき、親が一生懸命、無条件の愛で子どもを包んでくれます。
しかし、親もずっとその状態を続けることはできません。
下の子どもが生まれることもあります。また、子どもが社会で生きていかなければならないことを考えると、きちんと躾をしなければならないと考えるようになります。
そこで、
「わがままを振り回してはいけません」
「素直で、いい子になりなさい」
と言うようになります。
私は、これを第一回目の「存在の否定体験」と考えています。
子どもにとって、これは怖いことです。
子どもには、まだ自分一人で生きていく力がありません。
しかも人間の根底には、孤立、孤独、そして死への根源的な恐怖があります。
もちろん、小さな子どもが死をはっきり意識しているわけではありません。
しかし、親から見放されれば生きていけません。
「ちゃんと言うことを聞かなければ、捨てられるかもしれない」
ということは、子どもにとって非常に怖いことです。
怖く、寂しいため、とりあえず「いい子」になります。
親の言うことを聞く、いい子になる。
これが、第一回目の存在の否定体験によって起こってくることだと思います。
では、それでよいのでしょうか。
そういうわけにはいきません。
いい子にはなったとしても、単にいい子で、何もできず、不安で、社会の中で何もできないということでは困ります。
そこで次に親は、
「しっかり生きる子になりなさい」
「きちんと社会に適応し、立派な人になりなさい」
と言うようになります。
これは親の気持ちからすれば当然のことだと思います。
しかし、その結果、子どもは本当の自分、生きたい自分を抑えて、社会に適応する人間になろうとします。
私は、この状態を「乗っ取られた自分」と呼んでいます。
何に乗っ取られたのでしょうか。
それは、根底にある恐怖です。
根源的な不安に支配され、それに乗っ取られて、一生懸命、社会に適応する人間になっていきます。
そして、ここで第二回目の存在の否定体験が起こります。
第一回目は、「いい子になる」ということです。
いい子になるということは、自分の思うまま自由に生きてはいけないということです。
そこで、本当の自分を抑えなければなりません。
第二回目は、さらに「社会に適応する人間にならなければならない」ということです。
社会に適応するということは、自分を社会に合わせるということです。
本来、それは苦しいことでもあります。
私は「新型ストレス」という言葉で、いつもこのことを説明しています。
私たちの中には、第一の自分、すなわち「本当の自分を生きたい」という自分があります。
一方には、第二の自分、すなわち、
「いや、やはり社会に適応しなければならない」
「社会に適応しよう」
とする自分があります。
そして、その二つの自分の葛藤を抱えているのが第三の私、すなわち現在を生きている「私」です。
常に葛藤を抱えて生きている。
これが現代人の姿だと思います。
しかし、第一の自分、
「本当の自分を生きたい」
「自由に生きたい」
「楽しく生きたい」
「私は私として生きたい」
という部分は、どんどん抑えられてしまいます。
その代わりに、社会に適応する人間になっていきます。
社会に適応すれば、愛も、存在価値も、ご飯も得ることができます。
したがって、それによって得られるものも確かにあります。
私たちは、これまでそのようにして生きてきました。
非常にうまく社会適応できる人もいれば、うまくできない人もいます。
それでも、何とかその方法で生きてきました。
ところがAIの時代には、その「社会適応」自体ができなくなる可能性があります。
私たちが、
「社会に適応したい」
と言っても、AIの時代になれば、社会のさまざまな仕組みがAIによって極めて効率よく、正確に動かされるようになります。
そうなれば、人間が関与する場所自体が少なくなります。
私たちがどれほど、
「社会に適応したい」
「社会の役に立ちたい」
と言っても、
「もう必要ありません」
という存在になってしまう可能性があります。
そのため、存在価値を失い、無気力・無感動になる危険があります。
しかし、もう一度じっくり考えていただきたいのです。
そもそも社会適応という行動は、私たちが本能から自我に目覚めたことによって生まれています。
そこには、孤立、孤独、そして死への恐怖があります。
結局、その根底には死の恐怖があります。
私たちは、その死の恐怖から何とか逃れようとしているのです。
ある意味では、それをごまかしているとも言えます。
皆と一緒に社会適応の方向へ向かうことによって、人間の根源的な不安を見つめなくて済むようにする。
根底にある死の恐怖を見ないようにする。
そのためにも、私たちは社会適応を続けてきたのだと思います。
ところが、その社会適応ができなくなってしまえば、根源的な不安が表面へ吹き出してきます。
根底にある死の恐怖が、現実の問題として現れてくる可能性があります。
では、現代人はこの問題を解決することができるのでしょうか。
実は、AIが出現する以前から、現代人はすでにこの問題を十分に解決できない状態が続いていると思います。
現在の社会においても、私たちは本当に心も体も喜んで生きている状態には、なかなかなれていません。
その原因として、私は「現代人の五つの間違い」があると考えています。
第一に、
「自分で生きている」
と思っていることです。
これは、医学的に見ればおかしいことです。
第二に、
「人間は偶然によって発生した」
「人間は偶然の産物である」
と思っていることです。
これでは十分な自己肯定はできません。
第三に、
「死んだら何もなくなって、おしまいである」
と思っていることです。
これでは虚無が訪れ、虚無感に支配されてしまいます。
第四に、
「人間の価値は社会的評価によって決まる」
と思っていることです。
第五に、
「他人の山を登ることが人生の生きる道である」
と思っていることです。
もちろん本人は、「他人の山を登っている」とは思っていません。
すでに「乗っ取られた自分」になっていますから、自分自身を生きているつもりです。
しかし、実際に行っていることは社会適応です。
社会から評価を得ることを目指しているからです。
そのため、心の中では十分に喜べていないという状態が、すでに近代から現代にかけて起こってきています。
これは、本能から自我に目覚めた人間の運命、あるいは宿命とも言える問題だと思います。
この問題が解決されていない状態でAIが出現し、それによって問題が一挙に大きくなる可能性があります。
しかし私は、ある意味では、これはよいことかもしれないとも考えています。
ホモ・サピエンスは、非常に高い知的能力を使い、しかも競争原理によって社会を形成してきました。
そこには常に戦いがあり、差別があります。
そして、それは現在も続いています。
この状態のまま、これからもずっと進み続けることができるとは、とても思えません。
しかし、何も起こらなければ、私たちはこのまま進み続けてしまうでしょう。
ところが、AIが急速に進化することによって、
「私たちにとって、本当の喜びとは何なのか」
「本当の幸せとは何なのか」
「本当の自分を生きるとは、どういうことなのか」
「本来、人間の社会はどうあるべきなのか」
ということを根本から考える機会が与えられるのではないでしょうか。
AIの出現は、そのようなことを考える大きなチャンスでもあると思っています。
競争原理を中心として生きるホモ・サピエンスの生き方ではなく、大きな生命の世界の中で自分が生かされているということを知る生き方です。
私たちは無条件に生かされています。
その限りなく優しい存在を、私は「Yu」と呼んでいます。
そして、
「私たちはYuの子である」
と考えています。
この部分だけを簡単に言うと、
「それは宗教ではないのですか」
という話になってしまうかもしれません。
しかし、そういうことではありません。
私は長い時間をかけて医学的に考え続け、その中から「生かされてる医学」の四つの方法をつくり上げてきました。
この世界の本当の姿、そして私たち自身の本当の姿をきちんと捉え、自分自身も周囲の人も幸せになれるような生き方をしようというのが、私が「生かされてる医学」として取り組んできた内容です。
AIの時代になることによって、こうした考え方も、少しは受け入れてもらえるようになるかもしれません。
少なくとも、私が行っていることを受け入れるかどうかということ以上に、
「人間にとって本当の幸せとは何なのか」
「本当の自分を生きるとは、どういうことなのか」
を考える機会にはなると思います。
できれば、そこから「優しい社会」へ向かってほしい。
私は、それを「ホモ・ユーの社会」と呼んでいます。
ホモ・サピエンスの生き方から、ホモ・ユーの生き方へ進んでいこうということです。
人類が枝分かれするような、大きな転換のチャンスになるかもしれません。
ホモ・サピエンスは約20万年生きてきました。
そろそろ枝分かれしてもよいのではないでしょうか。
むしろ、枝分かれしなければならない時期に来ているのではないでしょうか。
AIの出現は、そういうことを真剣に考えるチャンスでもあると思います。
この問題について、これから本当に考えていくことができればよいと思っています。
今日は、これで終わります。