存在の二重否定
皆さん、こんにちは。
今日のお話は、「乗っ取られたF」の真の原因は、存在の二重否定であるということです。
これは非常に大切なことだと思います。
なかなか前へ進むことができない、自由になることができないという場合、この「存在の二重否定」が十分に理解できていないことが一つの原因ではないかと思います。
逆に言えば、存在の二重否定をしっかり理解することができれば、問題がすっと解けていきます。
そして、どのように解決していけばよいのかも見えてきます。
その結果、学習の濃度を大きく上げることができます。
存在の二重否定については、これまでも何度も話してきましたが、特に重要な問題ですので、今日はここに焦点を当ててお話しします。
乗っ取られたF
「乗っ取られたF」は、KやPKにならざるを得ません。
Fとは、「自分を生きたい自分」です。
本来の第一の自分です。
ところが、Fが乗っ取られると、その第一の自分自身が社会適応を目指すようになります。
社会の中で自分の存在価値を獲得しようとするからです。
そうすると、K、すなわち「人に自分の存在価値を認めさせようとする自分」にならざるを得ません。
また、PK、すなわち「自分の価値を認めたうえで、評価や愛を与えてほしい自分」になる場合もあります。
重要なのは、乗っ取られたFになって社会適応を目指すようになると、社会適応にとって邪魔になるものが捨てられてしまうということです。
その一つがF5です。
F5とは、
「たとえ社会適応がうまくいったとしても、このままの人生では嫌だ。本当の自分を生きたい」
という自我の叫びです。
もう一つがS4です。
Sとは「人の笑顔を見たい自分」であり、その中のS4は、Yuにつながる「ふとした優しさ」「見返りを求めない無条件の優しさ」です。
乗っ取られたFになると、このF5とS4が捨てられてしまいます。
そのため、FYu、すなわちFとYuが一体となった自分になることができません。
これが非常に重要な点です。
乗っ取られているため、そこから自分自身の力だけでは、なかなか逃れることができません。
Fには五つの状態がある
「自分を生きたい自分」であるFには、五つの状態があります。
これはこれまでもお話ししてきたことです。
まず、存在の二重否定によって本来のFが壊されます。
すると、F1、すなわち「乗っ取られたF」になります。
F1は、死の恐怖や不安によって乗っ取られ、社会適応を目指すFです。
そして、その社会適応がうまくいかなくなり、怒りが出てくると、F2、すなわち「危険なF」になります。
これは自滅のシナリオにつながる可能性があります。
一方、無気力・無感動になってしまう場合には、F3になります。
これも自滅のシナリオです。
いずれにしても、F1、F2、F3は、社会的な存在価値を求めて生きています。
そのため、人間関係や社会的評価に縛られた人生になってしまいます。
さらに、
「このままでは嫌だ」
という自分が出てくることがあります。
しかし、ここは非常に注意して見なければなりません。
社会適応がうまくいかないから、
「こんな自分は嫌だ」
「このままでは嫌だ」
と思っているだけなら、それはF4です。
F4は、
「社会適応がうまくいかないから、このままでは嫌だ」
という状態です。
これは依然として、社会適応を目指しているF1と同じ側にあります。
単に社会適応がうまくいっていないだけです。
それとは全く違うFがあります。
たとえ社会適応がうまくいっても、
「それでも、この人生は自分の人生ではない」
「私は本当の自分を生きたい」
と感じる自分です。
これがF5、自我の叫びです。
このF5が見つかれば、非常に大切な発見になります。
本来なら、誰の中にも存在しているはずです。
しかし、存在の二重否定によって乗っ取られているため、F5が見えなくなっています。
育てられることもなく、捨てられてしまっています。
ところが、存在の二重否定の仕組みが分かってくると、どのようにトレーニングし、解決していけばよいのかが分かってきます。
すると、存在の二重否定の縛りが少しずつ緩み、F5が見えてきます。
そして、S4も見えてきます。
「ふとした優しさ」
「無条件の優しさが好きな自分」
です。
その自分を生きたいと思うことができれば、FYuへ進むことができます。
この関係を明確にするために、F1からF5まで番号をつけています。
F4とF5は全く違います。
私たちの多くは存在の二重否定を受けていますので、通常はF1として生きています。
それがF2やF3になり、さらにF4が出てくることがあります。
しかし、F4とF5は違います。
F5をつかむことができれば、S4と一緒になり、FYuとしてそこから抜け出していくことができます。
Sにも四つある
S、すなわち「人の笑顔を見たい自分」にも四つの種類があります。
まずS1は、「損得のS」です。
自分にも利益があるから笑顔で対応しよう、人の笑顔を見たいというものです。
次にS2は、「自己投影のS」です。
これは非常に厄介です。
自分自身の思いを相手に投影し、その延長として相手の笑顔を求めます。
この問題については、これまで何度もお話ししていますので、詳しくは別の講義を見てください。
S3は、「道徳のS」です。
これも私たちの中に非常に深く入り込んでいます。
「人には優しくしなければならない」
「人を助けなければならない」
という道徳による優しさです。
そして最も大切なのがS4、「YuのS」です。
ふとした優しさ、見返りを期待しない無条件の優しさです。
このようにSにも番号をつけることで、
「これはS2であって、S4ではない」
ということを明確にできます。
しかし、それを明確にするためにも、存在の二重否定を理解することが必要です。
第一回目の存在否定――条件付きの愛
まず、「条件付きの愛」によって、最初の存在否定体験が起こります。
条件付きの愛とは、
「素直で良い子になりなさい」
「よく言うことを聞く子になりなさい」
「そうすれば愛されます」
「そうしなければ捨てられます」
というものです。
つまり、愛に条件がついています。
その根底には、死の恐怖があります。
小さい子どもは親なしでは生きていくことができません。
したがって、
「親から捨てられる」
ということは、子どもにとって非常に大きな恐怖です。
そのため、条件付きの愛を受け入れざるを得ません。
受け入れなければ不安で、生きていけないからです。
このようにして、不安が増大します。
「言うことを聞かなければ捨てられる」
という不安によって、親の言うことを聞く子になります。
本来の第一の自分は主体的な自分です。
主体的に生きようとすれば、必ずしも親の言うとおりにはなりません。
しかし、それでは「良い子」ではなくなります。
そこで主体性が否定されます。
同時に、自発性も壊されます。
本来は、自分の内側からさまざまな思いが生まれ、
「これをやってみたい」
「こう生きたい」
という自発性があります。
それは素晴らしいものです。
しかし、それを表に出すと「良い子」でなくなるため、主体性も自発性も抑えられます。
そして、
「何でも親の言うことを聞く子」
になります。
第一の自分が小さく抑えられ、非常に不安な子になります。
不安でなければ、親の言うことを聞かないからです。
「言うことを聞かなければ捨てられる」
という怖さが、根底にあります。
条件付きの愛にはさまざまな形がある
条件付きの愛には、さまざまな要因が含まれます。
例えば兄弟関係があります。
「お兄ちゃん病」「お姉ちゃん病」と呼んでいるものがあります。
弟や妹が生まれると、自分が親から愛されなくなるのではないかと不安になることがあります。
真ん中の子どもも、親から十分に注目されていないと感じて不安になる場合があります。
また、病気も関係します。
例えば小さい頃に喘息などの病気があると、
「自分が親に迷惑をかけている」
「親に負担をかけている」
と感じることがあります。
親から直接何か言われなくても、子どもは感じ取ります。
そして、
「自分は良い子でいなければならない」
と考えるようになります。
このように、一人ひとり条件は違います。
したがって、総論を理解したうえで、
「自分にとっての条件付きの愛とは何だったのか」
を個別のカウンセリングで明確にしていく必要があります。
まず重要なのは、条件付きの愛によって不安な子になり、主体性や自発性が壊され、
「何でも言うことを聞く子」
になったということです。
これが第一回目の存在否定です。
第一の自分が小さくなり、社会適応しようとする第二の自分が大きくなります。
そして、不安をいっぱい抱えた「おとなしくて良い子」として生きるようになります。
第二回目の存在否定
しかし、ここで終わりではありません。
何でも言うことを聞く素直な子にはなりました。
しかし、その根底には大きな不安があります。
不安の強い子では、競争社会の中で十分に社会適応できません。
社会の中で「しっかり生きる」ことができないと考えられます。
人間社会は競争社会です。
その競争の中で生きていかなければなりません。
そこで今度は、
「しっかりした子になりなさい」
「立派な子になりなさい」
「たくましい子になりなさい」
「成功する人になりなさい」
という新しいメッセージが与えられます。
ところが、子どもは最初の存在否定体験によって、すでに、
「親の言うことを何でも聞く」
という状態に仕上げられています。
したがって、今度の親の指示も受け入れざるを得ません。
最初の存在否定によって不安を与えられ、
「何でも言うことを聞く子」
になる準備ができています。
その準備が強ければ強いほど、次の、
「しっかり社会適応のできる子になりなさい」
「競争に負けない子になりなさい」
という親の指示が強く入ってきます。
もちろん、この程度は一人ひとり異なります。
総論を理解したうえで、個別に見ていくことが必要です。
しかし基本的には、
「不安な子では駄目だ」
「しっかりした子にならなければならない」
という第二の存在否定が起こります。
これが「存在の二重否定」です。
不安な自分まで否定される
第一回目の存在否定によって、すでに本来の主体性や自発性は抑えられています。
そして、「何でも言うことを聞く不安な子」になっています。
ところが今度は、
「不安な子では駄目だ」
と言われます。
つまり、最初の存在否定によってつくられた「不安な自分」まで、さらに否定されるのです。
不安を感じていてはいけない。
しっかりした子にならなければならない。
社会適応のできる子にならなければならない。
競争に勝てる子にならなければならない。
このようにして自分がつくり変えられていきます。
本人にすれば、
「一体、私はどうすればよいのか」
という状態です。
しかし怖いため、従わざるを得ません。
まず、
「言うことを聞く子にならなければならない」。
次には、
「ただ言うことを聞くだけでは駄目だ。しっかり生き、競争できる人間にならなければならない」。
この二重の要求によって自分がつくり上げられます。
その根底には、
「言うことを聞かなければ命が危ない」
という死の恐怖があります。
したがって、これは非常に強い縛りになります。
二重否定が完成すると何が起こるか
存在の二重否定が完成すると、第一の自分は「乗っ取られたF」、すなわちF1になります。
不安と恐怖によって乗っ取られ、第一の自分自身が社会適応を目指すようになります。
第二の自分は、もともと社会適応を目指す自分です。
そして、この第二の自分の中にある「不安な自分」は、
「そんなに不安では駄目だ」
と切り捨てられます。
すると、乗っ取られて社会適応を目指す第一の自分と、社会適応を目指す第二の自分が、同じ方向を向きます。
そのため、葛藤がなくなります。
社会適応一本になります。
一枚岩のような状態です。
しかも、社会適応に成功している間は不安が表面に出てきません。
だから止めることができません。
周囲から、
「このまま進むと、将来まずいのではありませんか」
と言われても、
「余計なお世話です」
ということになります。
これが訂正不可能性です。
F5とS4も否定される
さらにF5とS4も否定されます。
F5は、
「たとえ社会適応がうまくいっても、この人生は嫌だ」
という自我の叫びです。
しかし、そのような自分を認めれば、社会適応一本にはなれません。
そのためF5は否定されます。
S4も同じです。
S4は、ふとした無条件の優しさです。
しかし競争社会では、
「そんなに優しくしていたら勝てない」
「戦わなければならない」
ということになります。
したがってS4も否定されます。
こうして「社会適応一本」の人間がつくられていきます。
しかし、競争社会では必ず行き詰まる
そのまま社会適応一本で進んでいきます。
しかし、社会は競争社会ですから、いつまでもうまくいくわけではありません。
いずれ挫折が起こります。
怒りが強く出ればF2、危険なFになります。
無気力・無感動や抑うつへ進めばF3になります。
ただし、人によってはF5がかなり強く残っている場合があります。
「これは私の人生ではない」
「こんな人生を生きたいわけではない」
という自我の叫びです。
またS4が強い人もいます。
「人と戦うのは嫌だ」
「人を攻撃したり、攻撃されたりする生き方は嫌だ」
「私は優しい生き方の方が好きだ」
という思いの強い人です。
このような人は、社会適応一本になることができません。
そのため、人生の比較的早い段階で挫折が起こることがあります。
社会適応一本になって競争社会を走れる人も、いずれは競争に負けるという問題があります。
しかし、ある程度までは進めます。
一方、F5の自我の叫びが強い人や、S4の優しさが強い人は、
「これは自分の人生ではない」
「私はこんな競争をしたくない」
という思いがあるため、それほど遠くまで行くことができません。
これは良いことなのか、悪いことなのか。
私は、本当は良いことだと思います。
しかし、そのときに「生かされてる医学」に出会えなければ、生きる方向を見失ってしまう可能性があります。
自我が大きいほど、
「社会適応一本で生きるのは違う」
という思いも大きくなります。
そのため、人生の比較的早い時期にうまくいかなくなることがあります。
現在の子どもたちにも、こうしたことが起こり得ます。
学校へ行けなくなる。
人と交わることができなくなる。
そのような問題が早い時期から起こってくる可能性があると思います。
なぜ人より上でなければならなくなるのか
話を戻します。
存在の二重否定によって、「社会適応一本」になってしまいます。
本来の第一の自分には、
「私は私でいたい」
というFの叫びがあります。
しかし、それを捨てています。
第二の自分も社会適応を目指しています。
したがって、競争社会の中で社会適応一本で生きることになります。
そして、競争社会の中で、人に自分の存在価値を認めさせなければならなくなります。
乗っ取られたF1は、本来は主体的・自発的な第一の自分です。
そのため、単に相手に合わせて評価をもらうだけでは満足できません。
第二の自分だけなら、
「良い子になって相手に合わせ、評価してもらう」
ことで済みます。
しかし、F1は主体的・自発的な力を持っています。
そのため、
「お願いして評価してもらう」
というだけでは満足できません。
自分自身が上に立たなければならない。
人より下では駄目。
人と同じでも駄目。
人より上でなければ、自分の存在価値を示せない。
そういう状態になっていきます。
しかし、これは無理なことです。
最初は評価されたことも、次には「できて当たり前」になります。
同じことを続けているだけでは評価されません。
したがって、規模をさらに大きくしなければならない。
質もさらに高めなければならない。
上へ行けば行くほど、より能力の高い人と競争しなければならない。
したがって、いずれ競争に負けることは当然の結果として起こります。
乗っ取られたFは、最終的には競争に負ける構造を持っています。
怒りへ向かえばF2になります。
抑うつへ向かえばF3になります。
F1は、KやPKの根底にある状態と考えることができます。
二重否定の中だけでは解決策が見えない
存在の二重否定を見ていくと、なぜ通常の方法では解決できないのかも分かります。
二重否定に支配されている限り、
「解決とは、社会適応に成功することである」
としか考えられません。
乗っ取られたFだからです。
何を考えても、
「いかに成功するか」
という方法論、つまりハウツーの問題になります。
しかし、競争社会ですから、永遠に成功し続けることはできません。
それでも不安が強くなるほど、
「もっと成功しなければならない」
「何としても社会適応に成功しなければならない」
と考えます。
その結果、ますます自滅していきます。
この枠組みの中だけを見ていても、解決策は出てきません。
「社会適応に成功しなければならない」
という前提そのものが、非常に強い縛りだからです。
しかも、たとえ非常に才能のある人でも同じです。
他人には勝てたとしても、今度は過去の自分に勝たなければならなくなります。
例えば、非常に若い時期に大きな成功を収めれば、その後は「若い頃の自分」を超え続けなければなりません。
しかし年齢を重ね、病気になることもあります。
いずれは自分自身に負けることになります。
したがって、乗っ取られたFにとっては、最終的に自滅のシナリオにならざるを得ません。
しかも、その中にいる本人には解決策が見えません。
周囲が、
「それだけが人生ではないでしょう」
「ほかの生き方もあるでしょう」
と言っても、恐怖に支配され、社会適応一本になっていますから、耳に入りません。
これが訂正不可能性です。
本当の問題は何か
しかし、「生かされてる医学」を学び、このメカニズムが理解できれば、本当の問題が見えてきます。
本当の問題は何だったのでしょうか。
それは、根底にある死の恐怖です。
死の恐怖があまりにも強いため、第一の自分が乗っ取られています。
したがって、本当に必要なのは、社会適応の成功ではありません。
まず必要なのは、「本当の安心感」です。
その安心感を、「外なるYu」によって得ていきます。
私たちが生かされているという医学的事実を理解することによって、本当の安心感を得ようとするのです。
ここが非常に大切です。
必要なのは、相対的で条件付きの安心感ではありません。
絶対的な安心感です。
私たちは、素晴らしい法則と美しい調和の中で生かされている。
この事実を理解しなければ、恐怖から逃れるために走り続ける逃走劇を止めることができません。
だから「外なるYu」を学びます。
安心だけではなく、存在価値も必要
しかし、安心感だけでは十分に喜ぶことができません。
本当の存在価値を得て、本当の自分を生きなければなりません。
そこで「内なるYu」が重要になります。
自分の中にはF5があります。
S4があります。
つまり、FYuとなる可能性があります。
それを発見していきます。
このために「生かされてる医学」のシステムがあります。
社会適応一本となり、
「これしか生きる道はない」
と思い込んでいる人にとって、本当の問題は社会適応に成功できないことではありません。
「捨てられる」という恐怖、その根底にある死の恐怖ではないのか。
そこまで理解することができれば、
「解決とは、本当の安心感を得ることである」
「社会適応に成功することではない」
ということが分かります。
これは非常に大切な点です。
生かされているという医学的事実によって、本当の安心感を得る。
そうすれば、恐怖や不安から逃れるために社会適応へ向かい続ける「逃走」を止めることができます。
親から受け取ったメッセージから自由になる。
社会から受け取ったメッセージから自由になる。
すると、
「あれほど自分を縛っていたものは何だったのだろう」
という状態になっていきます。
二重否定が緩むとF5が出てくる
「生かされてる医学」のシステムを最初から完全に理解できなくても構いません。
まず、そのシステムに参加し、学び続ければよいのです。
そうすると、少しずつ安心感が得られてきます。
安心感が得られると、存在の二重否定が緩んできます。
存在の二重否定の根底にあるのは、死の恐怖だからです。
二重否定が緩むと、
「このままでは嫌だ」
という自分が出てきます。
ただし、
「社会適応がうまくいかないから嫌だ」
というF4ではありません。
「たとえ社会適応がうまくいっても、それは自分の人生ではない」
「うまくいっても嫌だ」
というF5、自我の叫びです。
そのF5が出てきます。
さらにS4も少しずつ生き返ってきます。
社会適応一本のときには、S4は意味を持ちません。
しかし、医学的事実によって安心感が得られるようになると、
「やはり私は優しい生き方が好きだ」
というS4が出てきます。
そしてF5が、
「このS4を生きたい」
と思う。
これがFYuです。
F5やS4を持っている人は諦めないでほしい
存在の二重否定によって、ほとんど完全にF1に乗っ取られている人もいます。
しかし、
「私はやはり、それでは嫌だ」
という自我の叫びを持っている人もいます。
また、
「私はやはり優しく生きたい」
という思いを持っている人もいます。
このような人は、自由になる可能性を持っています。
F5があると、社会適応一本で走ることができないため、つらいのです。
S4の優しさが強くても、競争社会の中で人を押しのけたり、倒したりすることができないため、つらくなります。
しかし、「生かされてる医学」から見ると、それは解決できる可能性を持っているということでもあります。
本当の自分を生きる可能性を持っているのです。
ですから、たとえ1パーセントでも、
「この人生では嫌だ」
「本当の自分を生きたい」
「私は優しく生きたい」
という思いがあるなら、諦めないでほしいと思います。
それは、本当に大切なものです。
FYuへの枝分かれ
最後にまとめます。
自分を生きたいFがあります。
しかし、Yuに至らないFは、まだ「我」の段階にあります。
F1、F2、F3、F4だけでは、Yuへ進むことができません。
したがって、社会適応や競争を続けざるを得ません。
しかし、死の恐怖や不安が、「生かされている」という医学的事実によって少しずつ和らいでくると、本来の自我が芽生えてきます。
そして、
「この人生では嫌だ」
というF5と、
「優しいのが好きだ」
というS4が育ってきます。
F5とS4が一つになることでFYuとなります。
そうすると、ホモ・ユーへ枝分かれすることが可能になります。
新しい人間、新しい人類への方向です。
人類は枝分かれによって生き延びてきた
人類の歴史を見ると、約700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分かれて以降、さまざまな人類が枝分かれしてきました。
枝分かれした一方が滅び、別の一方が生き延びる。
さらにそこから枝分かれし、新しい人類が生まれる。
そのようなことを繰り返してきました。
これまでには多くの種類の人類が存在したとされています。
人類がここまで生き延び、進化してこられたのは、枝分かれしてきたからとも考えられます。
ホモ・サピエンスも、誕生から約20万年になります。
そろそろ新たに枝分かれする時期なのではないか。
枝分かれしなければ滅亡しかねない状況を、私たちは今、生きているのではないかと思います。
では、何によって枝分かれするのでしょうか。
それは、自分の中にある、
「本当の自分を生きたい」
という思いと、
「やはり優しいのが好きだ」
という思いです。
これは自分自身の中にある事実です。
F5とS4をきちんとつかみ、FYuの自分を生きる。
そして、ホモ・ユーとなっていく。
そうすれば、新しい人類の方向へ進むことができるのではないでしょうか。
世界中の多くの人も、
「今の人生は何かおかしい」
と感じていると思います。
そして、多くの人は、やはり優しさが好きなのではないでしょうか。
そういう意味では、多くの人が「ホモ・ユーの芽」を自分の中に持っていると思います。
足りなかったのは、「生かされてる医学」のシステムです。
現在、そのシステムができ、皆さんが参加することで動き始めています。
世界中の人がこのシステムに参加することができれば、自分の中にすでに存在している願いを生きていくことができます。
これは誰かから与えられた願いではありません。
私が勝手に与えるものでもありません。
自分自身の中に存在しているものです。
一方、外には「生かされている」という医学的事実があります。
外なる事実と、内なる自分自身の事実があります。
その意味で、これはマインドコントロールとは全く違います。
自我に目覚めた現代人が、
「生まれてきてよかった」
「自分として生きてよかった」
と思える方向へ進むための道だと考えています。
存在の二重否定を理解することから始まる
ホモ・ユーへの道を進むためには、まず「存在の二重否定」を理解することが大切です。
存在の二重否定が分かれば、
「なぜ私はこれほど社会適応へ向かわなければならないのか」
ということが分かってきます。
その原因には、最初の存在否定体験があります。
そして、なぜその存在否定がこれほど強い力を持ったのかをたどれば、
「捨てられる」
という恐怖があります。
さらにその根底には、死の恐怖があります。
しかし、それはYuを知らなかったからこそ生じる不安でもあります。
Yuが分かり、
「私たちは素晴らしい法則と美しい調和の中で、限りない優しさによって生かされている」
ということが分かれば、本当の自分を生きる道が見えてきます。
これは誰にでも可能なはずです。
「存在の二重否定」は非常に大切なところです。
ぜひ、十分に理解していただきたいと思います。
今日はこれで終わります。