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生かされてる医学の丹田呼吸法
丹田呼吸法から丹Yuへ

丹田呼吸法と丹Yu

― 過去から自由になり、本当の自分がYuを選び、FYuを育てるまで ―

生かされてる医学 増補・統合校正版

 

はじめに

丹田呼吸法は、「生かされてる医学」における大切な体得の方法です。その目的は、単に気持ちを落ち着かせたり、リラックスしたりすることではありません。過去の性格や価値観、傷ついた自分、不安、怒り、愛や評価を求める自分などに支配された状態から少しずつ自由になり、「今、生きている自分」を実感することを目指します。

さらに丹田呼吸法を続け、こころ分析や「生かされている医学的事実」の学びと結びつけていくと、丹Yuという方法へ進みます。丹Yuでは、死の恐怖Z、怒っている自分、そしてYu「ふとした優しさが好きな自分」を同時に見つめます。それらを見ている本当の自分に気づき、その本当の自分がYuを選ぶことで、FYu体験へ進むことを目指します。

今回の増補版では、さらに「Fの運命」を加えました。F「本当の自分を生きたい自分」が、死の恐怖や人間関係の中でどのように壊され、F1・F2・F3へ進むのか。そこからF4・F5を見分け、Yuを発見し、FYuへ進む道筋を一つの流れとして整理しています。また、丹田呼吸法の会などのサポートが、単に学習を助けるだけでなく、日常の時間軸を「過去」から「現在」へ戻す支点になるという説明も加えました。

本書は、提供された講義・字幕の内容を、話し言葉や重複、明らかな音声認識の誤りを整えながら、一つの文章として再構成したものです。外部資料による検証や一般医学的な補足を加えることはせず、講義で述べられている考え方と用語を基準にまとめています。

第1章 なぜ丹田呼吸法が必要なのか

現代人にとってつらいことの一つは、自分の存在価値を感じられなくなることです。人から評価されたい、認められたい、失敗したくない、嫌われたくないという思いに縛られながら頑張り続けても、充実感が低下すれば、やがて社会に適応する力そのものまで弱くなることがあります。

生かされてる医学では、人に自分の存在価値を認めさせようとする自分をKと呼びます。Kが強いと、「否定されないか」「プライドを傷つけられないか」「仲間外れにされないか」「嫌われないか」「恥ずかしい思いをしないか」「食べていけなくならないか」「病気にならないか」といった不安が次々に生じます。Kによって社会的存在価値を得ようとすればするほど、不安も強くなりやすくなります。

そこで、目の前の不安を一つずつ消そうとするだけではなく、もっと根本から自分を見直す必要があります。そのためには、まず過去の自分の性格、価値観、思い込みから少し離れ、物事を客観的に見ることのできる状態をつくる必要があります。そこにゼロ体験が必要となり、その代表的な方法の一つが丹田呼吸法です。

第2章 心の時間軸――私たちは過去を生きている

時計の時間は、過去から現在へ、そして未来へと流れます。これが「物の時間軸」です。しかし心の時間軸は、同じようには流れません。

私たちは、生まれてから今日までに多くの経験をしています。親との関係、学校、仕事、人間関係、成功や失敗、傷ついた経験、褒められた経験などから、性格や価値観、セルフイメージが作られていきます。「私はこういう人間だ」「失敗してはいけない」「人から認められなければならない」といった自分についてのイメージも、過去に作られたものです。

そして私たちは、その過去のセルフイメージで現在を考え、行動します。さらに未来はまだ誰も経験していませんから、未来について考えるときも、過去の経験や知識を材料として想像します。その意味では、心の中では「過去→現在→未来」ではなく、「過去→過去→過去」と流れ続けることがあります。

将来に希望が持てない、未来に絶望した、と感じるときも、実際にはまだ来ていない未来を見ているのではなく、過去の経験から作られた未来像を見ている場合があります。だからこそ、生かされてる医学では「過去から現在へ戻る」ということを非常に大切にします。

第3章 頭で考えるだけでは過去から出られない

悩みや不安があると、私たちは「もっとよく考えれば解決できる」と思いがちです。しかし、考えるために使っている材料そのものが過去の経験や学んだ知識です。過去のセルフイメージで考え続ければ、考えれば考えるほど同じところを回り続けることもあります。

そこで、生かされてる医学では、頭で理解する方法だけでなく、身体を使う体得の方法が必要だと考えます。心と身体は一体となって働いているため、身体から働きかけることで、頭だけでは変えることのできない状態に変化を起こそうとします。

丹田呼吸法は、座禅の呼吸法をもとにしながら、椅子に座っているとき、歩いているとき、仕事をしているときなど、日常生活でも行えるように工夫された方法です。特別な時間だけの修行ではなく、生活そのものの中で使える体得法として位置づけられています。

第4章 心身相関と二つの条件

私たちの心と身体は、別々に動いているのではありません。心、自律神経系、内分泌・ホルモン系、免疫系などは互いに関連しながら働いています。生かされてる医学では、この関係を心身相関として捉えます。

強いストレスが続くと、心だけでなく身体にも負担が及びます。また、ストレスを発散するために過食、飲酒、喫煙などに頼るようになると、生活習慣も乱れやすくなります。そのため、目の前のストレスを一つずつ取り除くだけではなく、ストレスが来ても大きく振り回されにくい自分を育てることが必要だと考えます。

そのための中心となるのが、生命力と充実感を高めることです。生かされてる医学では、そのために二つの条件を重視します。第一は「身体を活性化し、調和させること」、第二は「頭をできるだけ空っぽにすること」です。丹田呼吸法は、この二つを同時に行うための方法です。

第5章 なぜ呼吸を使うのか

心臓、肝臓、腎臓などを、自分の意思で直接動かすことはできません。呼吸も本来は自律神経によって保たれていますが、呼吸だけは自分の意思でゆっくり吐いたり、吸ったりすることができます。そこで、この呼吸を身体への入口として使います。

丹田を意識し、丹田に身体を乗せるような感覚で、静かに息を吐きます。丹田から息を吐き出すような気持ちで呼吸することによって、身体側から心身相関に働きかけます。

しかし、呼吸だけしていても頭の中には次々と雑念が出てきます。そこで、吐く息を「一、二、三……」と数えます。数字に意識を戻すことによって、頭の中をできるだけ数字だけにし、空っぽに近づけていきます。身体には呼吸から、頭には数字から働きかける。この二つを同時に行うことが丹田呼吸法の基本的な仕組みです。

第6章 丹田を確認する

西洋医学の解剖学に「丹田」という臓器があるわけではありません。丹田呼吸法では、おへそと恥骨結合とのほぼ中間、その奥の下腹部を身体の中心として意識します。

最初は、その位置に指先を当てて身体を起こそうとしたり、脚を上げようとしたりして、その部分が硬くなる感覚を確認します。丹田の位置が分かりにくくなったときには、この「丹田確認のポーズ」に戻ります。

大切なのは、腹筋を強く緊張させることではなく、身体全体が丹田の上に乗っているという感覚をつかむことです。この感覚が身につくと、椅子に座っているときだけでなく、立っているときや歩いているときにも丹田を意識できるようになります。

第7章 二つの基本形――座って行う方法と椅子で行う方法

丹田呼吸法には、足を組んで行う座禅に近い方法と、椅子に座って行う方法があります。座禅に近い方法では、座布団を重ねて傾斜を作り、身体を安定させ、丹田の上に身体が乗る感覚をつかみます。足を組んで座ることには、心と身体が「決まる」ような感覚をつかみやすいという意味があります。

一方、日常生活ではいつも足を組んで座っているわけにはいきません。そのため、いつでもどこでも丹田呼吸を使えるようにするために、椅子に座って行う方法が用いられます。最初に基本の姿勢を身体で覚え、その感覚を椅子、立位、歩行などへ広げていきます。

体得の方法ですから、一度説明を聞いただけで身につくものではありません。一か月、二か月という短期間だけで判断せず、一年、二年、三年と繰り返し続け、日常生活でも自然にできることを目指します。

第8章 三段階の実習

第一段階では、椅子にゆったり座ります。両手の指先を丹田に軽く当て、少し押し込むようにして丹田を意識します。鼻から自然に息を吸い、「一、二、三」と数えながら、丹田から息を吐き出すような気持ちで、ゆっくり、穏やかに、優しく吐きます。吐き終わったら自然に吸います。

呼吸を続けて身体がほんのり温かくなってくれば、一つの目安になります。吐く息を一から十まで数え、十まで行ったら再び一に戻る方法も使います。雑念が出ても失敗ではありません。気づいたら、また数字へ戻ります。

第二段階では、身体の動きと丹田呼吸を組み合わせます。椅子に座り、手を腰に当て、身体を後ろへ倒した状態から、「一」で少し起こし、「二」で垂直まで戻し、「三」で丹田を意識しながら息を十分に吐きます。丹田が分かりにくくなったら、確認のポーズへ戻ります。

第三段階は立って行います。脚を大きめに開き、足の親指をやや内側へ向け、膝を外へ向けます。身体を丹田の上に乗せたまま、「一」「二」と戻し、「三」で垂直に沈みます。腰が折れてしまうのではなく、身体の軸を保ったまま沈むことが大切です。資料でも、関節に問題のある場合は無理をしないよう注意されています。

第三段階で「丹田に乗る」感覚が分かってくると、身体の軸を保ったまま垂直に沈み、腰が折れたり崩れたりしない感覚がつかみやすくなります。講義では、馬に乗るように丹田の上へ身体を預ける感覚、あるいは丹田の場所に大きなボールがあり、その上に身体が乗ると自然に空気が出て、戻ると自然に空気が入る、というイメージで説明されています。丹田呼吸は、お腹を大きく膨らませたりへこませたりすることを目的とした呼吸ではなく、「丹田に乗る」ことによって自然に呼吸が生じる感覚を重視します。この感覚が身につくと、歩行中や会話中にも丹田に乗ったまま呼吸しやすくなり、「24時間丹田人間」を目指す土台になります。

第9章 脱力――丹田呼吸の深まり

丹田呼吸が身についてくると、次に大切になるのが脱力です。「一、二」と進み、「三」で息を吐くときに、身体の余分な力を抜いていきます。最初から脱力だけを求めても難しいため、まず基本の形を身につけ、その後に力が抜ける呼吸へ進みます。

講義では、丹田呼吸の習熟を「達人」「名人」「仙人」という言葉で表現しています。最初は、意識して丹田で呼吸できる「達人」を目指します。次に、力みが減り、自然に呼吸できる「名人」へ進みます。さらに、遊ぶような軽さや楽しさの中で丹田呼吸ができる「仙人」を、生涯を通して近づいていく目標として表現しています。これは資格や優劣を示す言葉ではなく、力みが減り、自然になる過程を分かりやすく示す表現です。

第10章 ゼロ体験――過去が消えても「私」はいる

丹田呼吸を繰り返し、身体を整えながら吐く息を数えていると、ごく一瞬、考えの流れが止まり、過去がないように感じる瞬間があります。ずっとゼロの状態を保つことを目指すのではありません。一瞬をつかまえ、その体験を繰り返します。

その瞬間には、過去も未来も、性格も、不安も、不満も、傷ついた自分も、名前も、性別も、故郷も、国籍も、身長も、体重も、年齢も意識から離れます。しかし、自分そのものは存在しています。むしろ「私は今、生きている」「私は確かにここにいる」という感覚が残ります。

生かされてる医学では、これをゼロ体験と呼びます。ゼロとは、自分がなくなることではありません。なくなるのは、過去から作られたセルフイメージです。どんな過去を持っていても、それは自分が経験してきたことであり、本当の自分そのものではない。過去が静かになったときに「まっさらな自分」に気づくことを目指します。

第11章 丹田呼吸法は瞑想や「石になる修行」ではない

丹田呼吸法は、資料の中では一般的な瞑想とは区別して説明されています。目的は、何かを思い描いたり、特定の思想を考え続けたりすることではなく、身体を活性化し調和させると同時に、頭を空っぽに近づけ、現在へ戻ることです。

また、何も感じない「石のような人間」になることを目指してはいけません。不安、恐怖、悲しみ、傷ついた自分などを力で切り捨てれば、一見強くなったように感じるかもしれません。しかし、その方法では、生きている実感、感動、喜び、そして優しさまで切り捨ててしまう可能性があります。

丹田呼吸で目指すのは、冷たく強い自分ではありません。身体がほんのり温かくなり、穏やかさや生きている実感が戻ってくるような、温かい呼吸です。

第12章 悲しいときは「悲しい」まま呼吸する

実際に強い感情が出ているとき、最初から数字だけを数えようとして感情を消してはいけません。悲しいときには、「悲しい、悲しい」と自分の悲しみを認めながら丹田呼吸をします。腹が立っているときには、「腹が立つ」「許せない」と、その怒りを否定せずに呼吸します。傷ついているなら、「傷ついた」という自分をそのまま受け止めます。

つまり、感情を切り捨てるのではなく、感情と一体になりながら丹田呼吸をするのです。十分に悲しみ、十分に怒り、その感情を見ながら呼吸を続けます。すると、身体が温かくなり、やがて感情の勢いが変化し、「私は何をこんなに怒っていたのだろう」と少し距離を取って見られる瞬間が出てくることがあります。

楽しいときも同じです。楽しい感情も切り捨てません。「今日は楽しい」「うれしい」と感じながら丹田呼吸をします。苦しいときだけでなく、楽しいときにも丹田に戻る。そうすることで、感情にのみ込まれず、感情を生きながら自分に戻る練習になります。

練習が進むと反応は速くなります。しかし、速くなったから感情を切り捨ててよいのではありません。上手になっても、感情を受け止めるという原則は変わりません。

第13章 24時間丹田呼吸――生活そのものを練習にする

丹田呼吸法の最終的な目標は、決まった練習時間だけ上手にできることではありません。呼吸は二十四時間続いています。その呼吸を、心身相関を整え、生命力と充実感を育てるために使っていこうとします。

慣れてくれば、歩いているとき、仕事をしているとき、料理をしているとき、人前で話す前、電車に乗っているとき、人を待っているとき、横になっているときなどにも丹田呼吸を行います。最初はできなくて当然です。練習を続け、日常の中で無意識にも丹田に戻れることを目指します。

たとえば、待ち合わせ相手が遅れてきたとき、普通なら「まだ来ない」「なぜ時間を守らない」と考え続け、怒りを膨らませてしまいます。その時間を丹田呼吸の時間に変えます。身体が温かくなり、気持ちが落ち着いたところで相手が来れば、同じ出来事に対する反応が変わることがあります。ストレスの時間を、自分を育てる時間へ変えるという考え方です。

寝る前にも丹田呼吸を行います。布団の中で身体を温め、頭の中の考えを静かにしながら眠りに入ります。朝も少し丹田呼吸をしてから起きることで、丹田から一日を始めます。晴れていても、雨でも、楽しくても、悲しくても、常に丹田へ戻れる自分を育てていきます。

第14章 リバウンドを起こさない考え方

健康のために「食べてはいけない」「飲んではいけない」「吸ってはいけない」と禁止だけを強くすると、ストレスの原因が残ったままになります。ストレス発散の手段だけを取り上げれば、我慢が続かず、リバウンドを繰り返し、さらに自己否定が強くなることがあります。

そこで、生かされてる医学では、禁止することを中心にするのではなく、背景にあるストレスを見つめ、生命力と充実感を育てることを重視します。生命力と充実感が高まり、ストレスに振り回されにくくなれば、過食、飲酒、喫煙などを以前ほど必要としなくなる方向を目指します。「我慢してやめる」より、「必要なくなってくる自分を育てる」という発想です。

同時に、丹田呼吸法は必要な医学的治療を否定するものではありません。資料でも、高血圧などで薬が必要な場合には、必要な治療を続けながら丹田呼吸法を併用し、自己判断で薬を中止することは危険だと述べています。西洋医学的治療と体得の方法を対立させず、必要に応じて両方を使うことが大切です。

第15章 サポート――丹田呼吸法を生活の時間軸に置く

生かされてる医学では、サポートを四つの方法の一つとして位置づけています。サポートは、分からないことを教えてもらうためだけのものではありません。こころ分析、ゼロ体験、生かされている医学的事実を、一人だけの思い込みにせず、継続して体得していくための環境を作る役割があります。

追加された講義では、資料作成時のサポートの実例として、オンラインの「丹田呼吸法の会」「生かされている医学的事実の会」「こころ分析の会」、メールマガジン、動画のテキスト、そしてサポーターによる支援が紹介されています。丹田呼吸法の会については、当時、毎晩9時30分から20分間行い、短い「今日の一言」を挟みながら一年を通して継続していた、と説明されています。これは現在の運営予定を示すものではなく、講義中で紹介された実践例です。

この定時の実践には、もう一つの意味があります。夜の決まった時刻に丹田呼吸を行おうとすると、その時刻を中心に一日の予定を調整するようになります。日常生活では、出来事に反応するたびに過去の性格や価値観が出て、心の時間が「過去→過去→過去」と流れやすくなります。しかし、決まった丹田呼吸の時間を生活の支点に置くことで、一日の途中で何度も「今」に戻る方向を作ることができます。

講義では、このことを、過去に支配された日常の時間軸から、大きな生命の世界の中で現在を生きる時間軸へつなぎ直すこととして説明しています。大切なのは、時計の時間そのものが変わるという意味ではありません。決まった実践を外的な支点にして、出来事へ自動的に反応している自分から離れ、丹田へ戻り、現在を感じる機会を繰り返し作るということです。

毎晩の練習で、一瞬でも過去が静かになる体験を積み重ねていると、日常で何かが起こった瞬間にも、ふっと息を吐くことによって出来事との間に距離が生まれ、「はっ」と自分に戻れることがあります。サポートの場は、その反応を偶然に任せず、繰り返し練習するための仕組みでもあるのです。

第16章 丹田呼吸法と四つの方法

丹田呼吸法だけですべてが解決するわけではありません。生かされてる医学では、「こころ分析」「ゼロ体験」「生かされている医学的事実」「サポート」という四つの方法を同時に行います。

こころ分析では、自分の中にどのような自分がいるのか、現在の苦しみが何に由来するのかを整理します。ゼロ体験では、丹田呼吸法などによって過去から自由になる瞬間を体験します。「生かされている医学的事実」では、大きな生命の世界の中で自分が生かされているという事実を繰り返し見つめます。そしてサポートによって、独りよがりにならず、学びと実践を継続します。

頭で理解するだけでも不十分であり、体験だけでも不十分です。四つを同時に繰り返しながら、螺旋階段を上るように一歩ずつ進みます。理解が確信となり、さらに実感へと育つことを目指します。

四つの方法は、①こころ分析、②ゼロ体験、③生かされている医学的事実、④サポートです。こころ分析の中では、自分の中にいる複数の自分を見分ける「自分分析」も重要になります。特にFやYuのように小さく現れる自分を正確に区別するためには、言葉を覚えるだけではなく、自分の実際の心の動きに当てはめて繰り返し確認する必要があります。

第17章 丹Yuへ――丹田呼吸法のさらに先

丹田呼吸法によってゼロ体験を重ね、過去から現在へ戻る力を育てた先に、丹Yuという方法があります。丹Yuの目的は、一度だけ偶然にFYuを体験することではありません。FYu体験へ戻ることのできる方法を身につけ、それを一つの能力として育てていくことです。

FYuとは、F「本当の自分を生きたい自分」が、Yu「ふとした優しさが好きな自分」を選び、FとYuが一体になった状態です。丹Yuでは、このFYu体験を再現可能なものとして育てるために、何を見つけ、どのように並べ、どのようにYuを選ぶかを具体的に練習します。

第18章 Yuとは何か

Yuとは、「ふとした優しさが好きな自分」です。無条件の優しさ、見返りを期待しない優しさに触れたとき、「いいな」「好きだな」と感じる自分です。

Yuを見つける手がかりとして、五つの気持ちを使います。「あたたかい」「うれしい」「穏やか」「優しい」「楽しい」という気持ちです。この五つが重なるような一瞬を、ふとした優しさとして捉えます。

ここで注意するのは、W「自由気ままに生きたい自分」の楽しさとは違うということです。自分の欲しいものを得た楽しさ、自分の好きなことを自由にできた楽しさではありません。誰かの何気ない優しさに触れ、ふっと心が温かくなり、「こういう優しさが好きだ」と感じる、その感性をYuとして見つけます。

第19章 Yuを見つける第一のコツ――一瞬を切り取る

Yuは「ふとした」ものです。長く続く考えではありません。そのため、Yuを見つけるときには、その一瞬だけを写真のシャッターを切るようにつかまえます。

一瞬の前には別の気持ちがあり、後にも別の気持ちが出てきます。たとえば、困っている人を見てふっと「何かしてあげたい」と感じても、その後に「感謝されたい」「人として助けるべきだ」「かわいそうだから助けなければならない」といった気持ちが加わることがあります。前後を一緒にすると、Yuが分からなくなります。

そこで、前を切り、後を切り、「ふっ」と心が動いた一瞬だけを見ます。これがYuを見つける重要な練習です。

第20章 Yuは行動ではない

Yuを感じたからといって、そのまま行動しなければならないわけではありません。「ふと優しい気持ちになった」というところで、いったん止めます。その後に実際に助けるか、助けないかは別の問題です。

Yuを「親切な行動」と同じものにしてしまうと、「助けなければならない」「優しい人間でなければならない」という道徳や義務に変わってしまう可能性があります。Yuを見つける段階で大切なのは、何をしたかではなく、自分の中にどのような感性が現れたかです。

第21章 Yuをどこで見つけるか

まず、自分の過去の出来事を振り返ります。小さい頃から今までの人生の中で、「あのとき、なぜかうれしかった」「あの人の行動を見て心が温かくなった」「どうしてか分からないけれど、あの場面が好きだった」という出来事を探します。大きな出来事である必要はありません。

映画、テレビ、小説、新聞、インターネット上の出来事など、他人の物語を見ているときの方が、自分の利害から少し離れているためYuを見つけやすいこともあります。大切なのは、その人物が立派だったかどうかではなく、その出来事に触れた自分の心がどう動いたかを見ることです。

資料では、まず人間を通して「ふとした優しさ」を感じる感性を見つけることを重視しています。その感性が育ってくると、自然や生命の世界を見たときにも、その中に無条件の優しさを感じる方向へ進むと説明されています。

第22章 現実生活とYuをいったん切り離す

Yuを見つけ始めると、「こんな生き方をしたら仕事はどうなるのか」「家族はどうなるのか」「人に利用されないか」「社会で生きていけるのか」という不安が出てくることがあります。現実生活では、死の恐怖Zを根底に、社会適応や自己防衛をしながら生きているからです。

そこで、Yuを育てる初期段階では、現実生活を急に変えません。仕事を急に辞める、家族関係を一気に変えるなど、現実を壊すようなことはしません。現実には現実的に対応し、心の問題は心の中で育てます。

判断の大きな基準として「実害なし」を確認します。現実生活に実害を生じさせないことを確認しながら、心の中にいわば「温室」を作り、その中で小さなYuを育てていきます。現実と心の学びをいったん切り離すことで、不安や恐怖に押し戻されず、Yuを見つけやすくします。

第23章 Yuは外から与えられるものではない

誰かの優しい行動を見て、「ああ、いいな」と感じたとします。その行動は自分の外にあります。しかし、「いいな」と感じたのは自分です。あたたかい、うれしい、好きだ、と感じているのは自分自身の感性です。

この点が非常に重要です。Yuは、先生から与えられるものでも、道徳として外から植え付けられるものでもありません。もともと自分の中に、「ふとした優しさが好きな自分」が存在しているのです。普段は小さく、見逃しているだけです。

映画や出来事などのエピソードは、Yuそのものではありません。それらは、自分の中にすでにあるYuを発見させてくれる「きっかけ」です。もし自分の中にその感性がなければ、どれほど優しい出来事を見ても「いいな」と感じることはできません。

第24章 Yuは見つけるたびに育つ

一つYuを見つけ、「私はこういう優しさが好きなんだ」と確認します。また別の場面で見つけ、再び確認します。これを繰り返すことで、「ふとした優しさを好きだと感じる自分の感性」が少しずつ育っていきます。

Yuを育てるとは、新しい人格を作ることではありません。もともと自分の中にあるYuを何度も発見し、確認し、使うことです。自分の中のある自分は、意識し、使うほど大きくなっていくと考えます。

最初はYuが非常に小さくても構いません。普段はK、Z、N、Sなど、長年使ってきた自分の方がはるかに大きいのが普通です。YuやF「本当の自分を生きたい自分」は、これまでほとんど使われず、小さくなっていることがあります。だから、最初に一瞬しか見つからなくても失敗ではありません。

第25章 凡人・達人・名人・仙人の「瞬間」

丹Yuを始めても、すぐにYuが大きくなるわけではありません。最初は「凡人の瞬間」です。普段は従来の自分で生きながらも、「今、確かにYuがあった」という一瞬を一つずつつかみます。

繰り返すと「達人の瞬間」が増えてきます。Yuを見つけることが少し容易になり、FYu体験も増えていきます。さらに続けると「名人の瞬間」と表現できる状態へ進み、YuやFが大きくなり、ZやKなどの縛りが小さくなる方向へ進むと考えます。

その先を「仙人の瞬間」と表現します。これは、二十四時間いつでも完成しているという意味ではありません。仙人でも「雲から落ちる」ことがあるように、再び不安になったり怒ったりすることはあります。重要なのは、YuとFYuの瞬間を何度も積み重ね、本当の自分へ戻る能力を育てることです。

第26章 Fの運命――自我に目覚めた「自分を生きたい自分」はどこへ向かうのか

追加された「Fの運命」の講義では、人類の歴史を、自我に目覚めた人間の中でF「本当の自分を生きたい自分」が目覚め、育ってきた歴史として捉えています。講義では、人類の系統が約700万年前に始まり、ホモ・サピエンスが約20万年前に登場したという時間軸を示しながら、長い歴史の中で「自分を生きたい」という自我が発達してきたと考えます。

しかし、Fが目覚めたからといって、そのまま本当の自分を生きられるわけではありません。講義では、Yuに至らないFは、そのままでは「我」にとどまると表現されています。死の恐怖Zや親・社会との関係によってFが歪められると、人間関係にくっつく、あるいは人間関係に反発するという形で、結局は人間関係に縛られた人生になってしまいます。

このように本来の方向を失ったFを、講義では「壊されたF」と呼びます。その中心となるのが、F1「乗っ取られたF」、F2「危険なF」、F3「無気力のF」です。これらは別々の人格ではなく、死の恐怖や傷つき、社会適応との関係の中でFが取る異なる姿として整理されています。

重要なのは、「自分を生きたい」という言葉だけを聞いて、それをすべて本当の自分の方向だと判断しないことです。何を目指しているFなのか。死の恐怖に乗っ取られていないか。怒りの反発になっていないか。無気力に落ちていないか。そして、「うまくいかないから嫌だ」なのか、「うまくいったとしても、この生き方は嫌だ」なのかを、こころ分析によって丁寧に区別する必要があります。

第27章 壊されたF①――F1「乗っ取られたF」

F1「乗っ取られたF」の根底には、Z、死の恐怖があります。本来の第1の自分は、自分を生きたい方向を持っています。しかし死の恐怖が非常に強くなると、その第1の自分までが「何としても社会に適応しなければならない」という方向へ乗っ取られます。

第2の自分は、もともと衣食住や身の安全を得るために社会へ適応しようとする自分です。第1の自分まで同じ社会適応の方向を向くと、第1と第2の葛藤がなくなります。一見すると葛藤がなくなって良いように見えますが、講義では、ここに「訂正不可能性」が生じると説明しています。自分の進んでいる方向を内側から点検する働きが弱くなるからです。

死の恐怖を解決しようとして第1の自分は強いエネルギーを持ち、社会適応へ大きく膨らみます。その自分がいわば船長となって方向を握ると、本人には非常に努力しているつもりでも、客観性を失った、独りよがりで浮き上がった社会適応になることがあります。本人が気づきにくいまま進み、やがて限界が来る。これがF1の危うさです。

したがって、葛藤がないことを直ちに健康とみなすのではなく、「何が第1の自分を動かしているのか」を見る必要があります。社会適応への強い意欲の根底が、本当の自分を生きたい願いなのか、それともZに乗っ取られた恐怖なのかを区別することが重要です。

第28章 壊されたF②――F2「危険なF」

F2は、講義で「危険なF」と呼ばれています。自我が否定された、価値を傷つけられたと感じたとき、猛烈な怒りが出てくる状態です。このときは、普段感じていた死の恐怖や不安がいったん意識から消え、怒りが心の大部分を占めます。

その怒りは、目の前の出来事だけに対する怒りとは限りません。講義では、幼少期からの傷つきや押さえ込まれた怒りが、現在の出来事をきっかけとして置き換えられ、相手や社会、場合によっては自分自身へ向けられることがあると説明しています。

怒りに支配されると、第2の自分や第3の自分が見えなくなり、葛藤が消えて「訂正不可能性」に陥ります。そのため、怒りをぶつけて相手を壊そうとしたり、自分へ向けて自分を壊したりする危険があります。講義がF2を「危険なF」と呼ぶのは、この自滅の方向が非常に強いからです。

しかし怒りがいつまでも続くわけではありません。怒りの勢いが弱まると、不安を持つ第2の自分が再び現れます。すると、まだ残っている怒りと不安の間で葛藤が起こり、次第にエネルギーを失ってF3「無気力のF」へ進む場合があります。

第29章 壊されたF③――F3「無気力のF」

F3「無気力のF」には、F2の強い怒りの後に不安が戻り、葛藤に疲れ果てて無気力になる場合があります。もう一つ、幼い頃から強く抑え込まれ、怒ることそのものまで許されなかったため、怒りを十分に表現する段階を経ず、最初から無気力へ落ちていく場合もあると講義では説明されています。

この状態では、第1の自分は小さくなり、不安を抱える第2の自分が大きくなっています。両者の葛藤が長く続くため、物事を決めることが難しくなり、曖昧な生き方になりやすく、充実感が低下し、常に疲労感を感じるようになります。

やがて「どうせ何をしても駄目だ」と諦める自分が強くなり、何もする気力がない、何にも心が動かないという無気力・無感動の状態へ進むことがあります。講義では、さらに重くなるとうつ状態や引きこもりにつながる場合もあると述べています。

F1、F2、F3は固定した一方向の段階ではなく、互いの間を行き来することがあります。乗っ取られて頑張る。うまくいかず怒る。怒った後に不安と無気力へ落ちる。そして再び何とか社会に適応しようとする。この循環から抜けるために、こころ分析の中で自分分析の能力を身につけ、自分の中で何が起きているのかを正確に見る必要があります。

第30章 壊されたFから脱出する――F4とF5を見分ける

壊されたFを見続けていると、その中から「このままでは嫌だ」という自分が現れることがあります。しかし、この「嫌だ」も一種類ではありません。ここを分けて見ないと、社会適応への反発を本当の自分の叫びだと取り違える可能性があります。

F4は、「うまくいかないから嫌だ」という自分です。今の仕事、人間関係、社会適応がうまくいかないから嫌なのであり、もしうまくいくのであれば、これまでと同じ生き方を続けたい自分です。したがって、方向そのものは依然として社会的成功や社会的存在価値へ向いています。

F5は、「たとえうまくいったとしても、この生き方は嫌だ」という自分です。仕事が成功しても、人から評価されても、生活が安定しても、「これは私の人生ではない」「何かが違う」「本当の自分を生きたい」という願いが残ります。講義では、このF5を「自我の叫び」と呼びます。

F5は、幼い頃から押さえ込まれ、十分に成長できなかったため、「何をしたいのか」「どのように生きたいのか」という具体的な形を最初から持っているとは限りません。ただ、「本当の自分とはまだ分からない。しかし、本当の自分を生きたい」という願いとして現れます。

講義では、このF5を分かりやすく「心の中の1%」ほどの小さな存在として表現しています。これは測定された割合という意味ではなく、長年使ってきたK、Z、N、Sなどに比べて非常に小さく、見逃しやすいということを示す表現です。何度も自分の心を見て、「確かにこの自分がいる」と確認し、育てることが必要になります。

第31章 F5――「本当の自分を生きたい」という自我の叫び

丹Yuへ進むためには、F5を見つけることが重要です。F5とは、単に「今の生活がうまくいかないから嫌だ」という自分ではありません。社会適応がうまくいき、仕事や生活が順調だったとしても、「これは私の人生ではない」「何かが違う」「本当の自分を生きたい」と感じる自分です。

「うまくいかないから嫌だ」というF4とは違い、F5は「うまくいっても嫌だ」と感じます。生かされてる医学では、このF5を「自我の叫び」として非常に大切にします。まだ本当の自分が何なのかは分からなくても、「本当の自分を生きたい」という願いがある。ここが丹Yuへ進む重要な入口です。

F5は、具体的な職業や生き方の設計図ではありません。むしろ、過去から与えられた生き方だけでは自分の人生にならないという根源的な感覚です。そのため、F5を見つけた後に、頭だけで「では何をすれば本当の自分なのか」と急いで答えを作るのではなく、ゼロ体験とこころ分析を続けながら、この小さな自我の叫びを確認していきます。

第32章 Yuと他の「優しさ」を分ける

「人の笑顔を見たい自分」Sには、複数の種類があります。丹YuでYuを正確に見つけるためには、それらを分けて見る必要があります。

一つは損得のSです。自分に得があるから優しくする、自分に不利益ならしない、というものです。もう一つは自己投影のSです。過去の「かわいそうだった自分」を相手に投影し、「助けなければならない」と自分を犠牲にしてしまう優しさです。さらに道徳のSがあります。「人には親切にするべきだ」「良い人でなければならない」という社会的・道徳的な価値観から来る優しさです。

そして、これらとは異なるものとしてYuがあります。見返りを期待しない、ふとした優しさが好きな自分です。丹Yuでは、損得、自己投影、道徳などと混ざったままにせず、Yuだけを丁寧に分離して見つけます。

第33章 F5がYuを選ぶ――FYuが生まれる

F5を見つけた段階では、「本当の自分を生きたい」という願いはありますが、何を生きたいのかはまだ明瞭ではありません。そこでさらに心の中を見て、Yu「ふとした優しさが好きな自分」が存在するかを探します。

Yuも、講義ではF5と同じように「1%」ほどの小さな感性として表現されています。大きな理想や道徳ではなく、ほんの一瞬、「こういう優しさはいいな」「私はこれが好きだ」と感じる自分です。だからこそ、前後の損得、自己投影、道徳などを切り離して、その一瞬を正確につかまえる必要があります。

そして、F5「本当の自分を生きたい自分」が、このYuを「私はこの優しさが好きだ。この自分を生きたい」と選ぶことができれば、FとYuが一体となります。これをFYuと呼びます。FYuは一度の考えや宣言ではなく、一瞬の体験として始まり、その体験を繰り返すことで育てていくものです。

講義では、Yuに至らないFが、人にくっついたり反発したりしながら人間関係に縛られるのに対し、FYuが育つと、自分を生きながら、自分の持つものを周囲へ自由に生かし、自分も周囲の人も幸せになる方向へ進めると考えます。ここに、自我に目覚めたことの喜びと希望を見いだしています。

第34章 ホモ・ユー――FYuを生きる新しい人間の方向

「Fの運命」の講義では、人類史の中で多くの人類が現れては消え、現在はホモ・サピエンスが残っているという系譜を示しながら、ホモ・サピエンスがこのまま同じ生き方を続ける保証はない、という問題提起をしています。

そこで用いられるのが「枝分かれ」という表現です。これは、生物学的な新種が実際に発生したと科学的に主張するためのものではなく、生かされてる医学の中で、FYuを生きる新しい人間の方向を象徴的に表す言葉として整理できます。

F5「本当の自分を生きたい」という自我の叫びと、Yu「ふとした優しさが好きな自分」が一体となり、FYuを生きる。競争によって存在価値を奪い合うことを中心にせず、自分の本当の存在価値を持ちながら、自分の能力を社会の分業に使い、周囲の人の幸せにもつながる生き方をする。この方向を、講義では「ホモ・ユー」と呼んでいます。

したがって、ホモ・ユーは外から与えられる称号ではありません。自分の中の小さなF5とYuを見つけ、四つの方法を繰り返しながらFYuを育て、その瞬間を少しずつ増やしていく生き方として理解することが重要です。

第35章 本当の丹Yu――三つを並べる

丹Yuの中心となる実践は、死の恐怖Z、怒っている自分、そしてYuを同時に並べて見ることです。強烈な死の恐怖が来たときには、恐怖そのものに支配され、ほかのものを見ることはできません。強い怒りの中でも同じです。また、漠然とした不安や怒りは曖昧なため、かえってつかみにくいことがあります。

そのため、実際に強い恐怖や怒りが来てから初めてやろうとするのではなく、平常時から準備します。まずF5「うまくいっても、この生き方は嫌だ。本当の自分を生きたい」という自分を確認します。そして、「生かされている医学的事実」を原点として丹田呼吸を行い、死の恐怖Zを逃げずに見ます。怒りも、切り捨てずに見ます。Yuも、他のSと区別してしっかり見つけます。

こうして、①死の恐怖Z、②怒っている自分、③Yuという三つを、同じ場所に並べるようにして見ます。どれか一つを消すのではありません。三つを同時に存在させ、それらを客観的に見ることが重要です。

第36章 三つを見ている「第四の自分」

三つを並べて見ることができると、重要なことに気づきます。死の恐怖、怒り、Yuの三つを同時に見ているのは誰なのか、ということです。三つのうちの一つが他の二つを見ているのではありません。三つを並べるには、その三つとは別の「見ている自分」が必要です。

丹Yuでは、この三つを見ている自分を「第四の自分」として捉え、そこに本当の自分を感じていきます。F5は「本当の自分を生きたい」という叫びでしたが、まだ本当の自分そのものが明瞭ではありません。三つを並べて見る体験によって、「これらを見ている私がいる」と、本当の自分がよりはっきりしてくるのです。

第37章 本当の自分がYuを選ぶ――FYu

三つを並べ、それらを見ている本当の自分を感じたら、その本当の自分がYuを選びます。「私は、この優しさが好きだ」「私は、この優しさを生きたい」と選びます。

これは、「優しい人にならなければならない」と自分に命令することではありません。道徳としてYuを選ぶのでもありません。死の恐怖も、怒りも、Yuも十分に見たうえで、本当の自分が自由にYuを選ぶことが大切です。

このとき、F「本当の自分を生きたい自分」とYuが一つになります。これをFYuと呼びます。資料では、FYu体験の中で死の恐怖や怒りが消え、楽しい、うれしい、穏やか、優しい、生きている、という感覚が現れると説明されています。「これなら生きていきたい」「これなら生きていける」という希望が出てくる体験です。

重要なのは、恐怖や怒りを最初から消そうとしたのではないということです。恐怖も怒りも見て、切り捨てず、そのうえで本当の自分がYuを選ぶ。その結果として、恐怖や怒りから自由になる体験へ進みます。

第38章 丹Yuを偶然の体験から「能力」へ

人は人生の中で、偶然に深い安心や優しさを感じることがあります。しかし、一度だけの体験では、次に強い恐怖や怒りが来たとき、また元へ戻ってしまいます。

生かされてる医学が丹Yuで目指すのは、「たまたまFYuを体験した」ということではありません。死の恐怖や怒りが出たときにも、自分で本当の自分へ戻り、Yuを選ぶことのできる方法を身につけることです。繰り返し練習し、FYuを一時的な体験から、自分自身の能力へ育てていきます。

第39章 シミュレーションと口ずさむ練習

強い死の恐怖や怒りが実際に起きた瞬間に、初めて「三つを並べよう」としても難しいものです。そこで、何も起きていない日常の中でシミュレーションを繰り返します。

「生かされている医学的事実」を原点にする。丹田に戻る。F5を確認する。死の恐怖Zを見る。怒りを見る。Yuを見る。三つを並べる。それらを見ている本当の自分を感じる。そして、本当の自分がYuを選ぶ。この一連の流れを、平常時に何度も練習します。

また、死の恐怖Z、怒り、Yuという三つを日頃から口ずさみ、並べることを習慣にします。練習を積み重ねると、必要なときに一連の過程を短時間で呼び戻せるようになることを目指します。

資料では、十分に練習が進んだ段階で、強い恐怖や怒りが来たときに「Yu、助けて」と短く呼びかけることで、丹田に戻り、三つを並べ、本当の自分がYuを選ぶ一連の過程を瞬間的に呼び戻すことも説明されています。ただし、これは言葉を唱えるだけで効果が出るという意味ではありません。日頃からシミュレーションと実践を繰り返し、その過程が身についていることが前提です。

第40章 「生かされている医学的事実」は丹Yuの土台

死の恐怖や怒りを正面から見ることは簡単ではありません。そのため、丹Yuでは「生かされている医学的事実」を原点にすることを重視します。

私たちは、自分で自分の身体を一から作ったわけではありません。心臓を一回一回自分の意思で動かしているわけでもありません。大きな生命の世界の中で、身体の多くの働きに支えられながら生きています。生かされてる医学では、この事実を繰り返し見つめ、「私は生かされている」という理解を確信、実感へと育てていきます。

丹Yuでは、この「生かされている」という事実の世界を、死の恐怖や怒りを直視するための土台、いわばセーフティーネットとして用います。単に「怖くない」と自己説得するのではなく、生かされている事実に立って、怖い自分をそのまま見るのです。

第41章 丹田呼吸法から丹Yu、FYuまでの全体像

ここまでの流れを一つにつなげると、次のようになります。

まず丹田呼吸を行い、身体を活性化し調和させると同時に、吐く息を数えて頭を静かにします。そこから、一瞬、過去が静かになり、「今、生きている自分」を感じるゼロ体験を重ねます。

次に、悲しみ、怒り、不安などの感情を切り捨てず、そのまま受け止めながら丹田呼吸を行います。こころ分析によってF5「本当の自分を生きたい自分」を見つけ、Yu「ふとした優しさが好きな自分」を、他の優しさと分けて見つけます。

そして、「生かされている医学的事実」を原点として丹田呼吸を行い、死の恐怖Z、怒り、Yuを同時に並べます。その三つを見ている本当の自分に気づき、本当の自分がYuを選びます。ここでFとYuが一体になり、FYu体験へ進みます。

この体験を偶然で終わらせず、シミュレーション、日常の丹田呼吸、Yuを見つける練習、こころ分析、生かされている医学的事実の学び、サポートを繰り返しながら、自分の能力として育てていきます。

丹田呼吸法は、単なる呼吸の技術ではありません。過去から現在へ戻るための体得法であり、丹Yuは、その現在に戻った本当の自分がYuを選び、FYuを育てるための具体的な方法です。

今回加えた「Fの運命」を含めると、この全体像の中でFの位置がより明確になります。過去と死の恐怖に支配されたままでは、FはF1・F2・F3という「壊されたF」になり得ます。そこからF4とF5を分け、F5という小さな自我の叫びを見つけます。同時にYuを見つけ、F5がYuを選ぶことでFYuへ進みます。丹Yuは、このFYuへの道を平常時からシミュレーションし、必要なときに自分で戻れる能力へ育てる方法です。

また、サポートはこの全過程を支える外側の仕組みです。定時の丹田呼吸、学習の場、テキスト、こころ分析、対話などによって、過去へ流される日常の中に「現在へ戻る支点」を繰り返し作ります。個々の方法を単独で行うのではなく、四つの方法を同時に続けることが、全体を貫く原則です。

おわりに

丹田呼吸法で大切なのは、急いで結果を求めないことです。最初は雑念が多くても、Yuが小さくても、恐怖や怒りに振り回されても、それを「できていない」と評価して自分を否定しません。一瞬を一つずつ見つけ、繰り返します。

現実生活は壊さず、必要な医療も否定せず、その一方で心の中では本当の自分を育てます。丹田呼吸法、こころ分析、生かされている医学的事実、サポートという四つの方法を同時に続け、螺旋階段を上るように進みます。

Fの運命を見れば、「自分を生きたい」という願いだけでは十分ではないことが分かります。Fは死の恐怖に乗っ取られ、怒りになり、無気力になることがあります。その中から「うまくいっても、この生き方は嫌だ」というF5を見つけ、さらに自分の中にあるYuを見つけます。

過去に支配された自分から現在へ戻る。「私は今、生きている」と感じる。死の恐怖も怒りも切り捨てずに見つめる。そして、それらを見ている本当の自分が「私はこの優しさを生きたい」とYuを選ぶ。その瞬間にFとYuが一つになり、FYu体験が生まれます。

その一瞬を偶然の出来事で終わらせず、丹田呼吸、こころ分析、生かされている医学的事実、サポートを繰り返しながら、自分自身の能力として育てていく。本当の自分を生き、自分も周りの人も幸せになれる方向へ進む。それが、今回の資料全体から見えてくる、生かされてる医学における丹田呼吸法、丹Yu、そしてFYuの一つの大きな流れです。

付録 主要用語

用語

意味

丹田呼吸法

丹田に乗る感覚と呼吸、吐く息を数えることを組み合わせ、身体の活性化・調和と頭を静かにすることを同時に目指す体得法。

ゼロ体験

過去のセルフイメージが一瞬静かになり、「今、生きている自分」を感じる体験。

こころ分析

自分の心にいる複数の自分を区別し、本心と心の構造を明らかにしていく方法。

自分分析

こころ分析の中で、F・K・S・Yu・Zなど、自分の中にいる複数の自分を区別して見る方法。

K

人に自分の存在価値を認めさせようとする自分。

Z

死の恐怖を感じている自分。

F

本当の自分とはまだ分からないが、本当の自分を生きたいという願いを持つ自分。

F1

死の恐怖Zに乗っ取られ、社会適応へ暴走しやすくなる「乗っ取られたF」。

F2

自我の傷つきから強い怒りを人・社会・自分へ向け、自滅へ進み得る「危険なF」。

F3

葛藤と不安、あるいは長年の抑圧の中で無気力・無感動へ落ちる「無気力のF」。

F4

「うまくいかないから、このままでは嫌だ」という自分。うまくいけば従来の生き方を続けたい。

F5

「うまくいったとしても、この生き方は嫌だ。本当の自分を生きたい」という自我の叫び。

S

人の笑顔を見たい自分。損得、自己投影、道徳などのSと、Yuにつながる優しさを区別して見る。

Yu

ふとした、見返りを期待しない優しさが好きな自分。

丹Yu

丹田呼吸を土台に、Z・怒り・Yuなどを並べ、それらを見ている本当の自分がYuを選ぶ練習。

FYu

F、とくにF5がYuを選び、FとYuが一体になった状態・体験。繰り返して能力として育てる。

ホモ・ユー

FYuを育て、本当の存在価値を持ちながら、自分の能力を社会に生かし、周囲の幸せにもつながる生き方を表す生かされてる医学の用語。

四つの方法

こころ分析、ゼロ体験、生かされている医学的事実、サポート。別々ではなく同時に進める。

 不安の根本解決・AI時代の健康医学・生かされてる医学

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