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生かされてる医学の5つの発見
今回は、2番目の
「医学的に生かしてくれている、かぎりなく優しいYu(ユー)が存在する」
というお話をしていきたいと思います。
1.前回のまとめ
前回までをまとめます。
「死の恐怖」について見てきました。
「死んだら灰になっておしまい」
これは怖いことです。
それから、
「悪魔や霊がいる。地獄がある」
これも怖い。
多くの人は、この両方を「ちゃんぽん」にして生きているのではないか、というお話でした。
それをまとめると、一つには、
唯物論――これは無神論ということになります。
もう一つには、
唯心論、あるいは有神論
と言われるものがあります。
多くの人が、この両方をちゃんぽんにして生きています。
そうであれば、死が怖くなるのも当然です。
2.「本当の私はどこから来たのか」は、人間には証明できない
ただ、とても大事なことがあります。
人間の歴史が始まって以来、私たち人間の能力では、
「本当の私はどこから発生し、どこにいて、そして死んだらおしまいなのかどうか」
これを証明することができません。
唯物論、無神論にしても同じです。
有神論にしても同じです。
さらに、科学においても同じです。
これは、とても深刻な状態だと思います。
なぜなら、私たちは皆、現在、
自我に目覚めた存在
だからです。
自我に目覚めた存在にとって、
「本当の自分を生きること」
これは大きな願いです。
しかし、そのためには「死の恐怖」の解決が必要です。
これが解決しなければ、本当の自分を生きることは難しい。
では、どうすればよいのか。
「死んだら灰になっておしまい」
あるいは、
「悪魔や霊が存在する」
これが本当にそうなのかどうか。
これは人間の能力では解明できません。
そこで行き詰まってしまいます。
結局、何も分からないまま、不安を抱えたまま人生を生きて終わる。
そして、何かに縛られ、社会に縛られて、自分を生きることができなくなっていく。
そういう状態を生きなければならない。
これは現代人にとって、本当に残念なことだと思います。
ですから、何とかここから一歩進みたい。
それをやろうとしているわけです。
3.人間には五つの認識能力がある
もう一度、見てみます。
人類は、
科学的認識
論理的認識
感情的認識
感覚的認識
直感的認識
という五つの認識能力を持っています。
しかし、
「共有できる客観的事実」
つまり、現代人の私たちが共有できる客観的事実という点から見ると、どれも難しいところがあります。
その中で、
科学的認識には、客観的事実がある。
これは一つの可能性です。
少し希望が見えてきます。
本当に、一筋の道です。
つまり、
「生かされている医学的事実はある」
ということです。
しかも、最近の100年ほどで、医学的事実の世界が飛躍的に見えるようになりました。
昔は、まったく分からなかったことです。
私たちが今見ているものの多くは、この100年ほどの間に明らかになってきた事実です。
この事実を直視して、
「必然か、偶然か」
という方法で、もう一歩先へ進めないか。
そこを考えていきます。
4.「生かされている」という医学的事実
大きな生命の世界の中で、
医学的に、素晴らしい法則と美しい調和によって生かされている。
この事実はあります。
ただ問題は、
これが必然なのか、偶然なのか。
そこを問うていきたいと思います。
どういうことか。
もし必然であれば、私たちは、
必然として生かされている
ことになります。
そうであれば、私たちは素晴らしく、大切な存在になります。
ところが、もし偶然であるなら、
「私は偶然の産物である」
ということになります。
そうなると、自分は価値のない、つまらない存在だという感覚につながりかねません。
この違いは、現代を生きる私たちにとって、とても大きなものです。
自分を生きていくためには、
存在価値
を感じることが必要です。
では、どちらなのか。
これは、十分に問い続ける価値のある問題だと思います。
5.従来の方法では「必然か偶然か」を決められない
ただ、ここで難しい問題が出てきます。
医学的事実があって、それを根拠に見ていこうとしても、それだけでは分からない。
従来の方法では、結局、
「分からない」
という結果になります。
ですから、新しい方法が必要だと思います。
それは、
頭で理解することと、体得すること。
この両方の方法を作り上げることです。
少し先走って話しましたので、ここから順番に見ていきます。
6.科学では「なぜ存在するのか」を答えられない
まず、従来の方法で「必然か偶然か」を問うてみます。
科学というものは、
物質の特性についての事実を明らかにする学問
です。
例えば、水素、酸素、炭素がどのような構造をしていて、どのような性質を持ち、どのような反応を起こすか。
こうした事実については明らかにできます。
しかし、
「なぜ水素、酸素、炭素が存在するのか」
そして、
「それが必然なのか、偶然なのか」
ということは、科学では明らかにできません。
生物の進化についても、とてつもなく長い時間がかかっています。
そのため、事実の検証も、再現実験もできません。
あまりにも長い時間だからです。
したがって、
「偶然に進化した」
とも言えますし、
「必然として進化してきた」
とも言えます。
科学は、どちらか一方に決定する方法ではありません。
ここでも科学は、
「必然か、偶然か」
を決めることができません。
7.数学・哲学でも決定できない
では、数学はどうでしょうか。
数学の「確率」は、可能性を示すものです。
したがって、
必然か偶然かを決定するものではありません。
あくまでも確率です。
では、哲学はどうでしょうか。
哲学は、人間の論理的な思考によるものです。
客観的事実を実験によって検証しているわけではありません。
したがって、
必然か偶然かを決定することはできません。
これもまた、「必然か偶然か」を決めることはできません。
五つの認識能力のうち、
科学的認識
論理的認識
については、ここまで見てきたように、
必然か偶然かを決定できない
ということになります。
8.感情・感覚・直感でも証明できない
では、残った三つはどうでしょう。
感情的認識
感覚的認識
直感的認識
です。
これらは個人的な認識です。
いろいろな人が、いろいろなことを主張しています。
そのため、
必然か偶然かを客観的に証明することは不可能
です。
そもそも、客観的に検討するための事実そのものがありません。
したがって、人間が持つ認識能力では、
必然か偶然かを決定できない。
ということになります。
前回、
「死んだら灰になっておしまいかどうか」
「霊や悪魔がいるかどうか」
これを証明することはできない、というお話をしました。
ここでも同じように、
「分からない」
という話になってしまいます。
とても残念な結果です。
9.そこで、新しい方法が必要になる
事実を根拠にしても、それだけでは分からない。
従来の方法では、結局、
「分からない」
という結果になります。
これは非常に困ります。
診断をしたとしても、治療法がなければ意味がありません。
ですから、何としても新しい方法が必要です。
それを作り上げるために、私は今まで取り組んできました。
そして、そのためには、
頭での理解と、体得による理解。
この二つが必要だと考えるようになりました。
10.私自身が行ってきた「頭での理解」
頭での理解では、まず医学を学びました。
神戸大学医学部で学びました。
さらに大学院で学び、ヨーロッパの分子生物学研究所にも行かせていただき、学ばせていただきました。
そして、文学、哲学です。
私は小さいころから文学少年で、ありとあらゆる本を読み続けてきました。
しかし、それだけでは分からない。
そこで、
「体得する方法も必要だ」
と考えるようになりました。
その一つが、
丹田呼吸法
です。
丹田呼吸法は、
座禅の呼吸法を改良したもの
です。
11.禅と絶食療法から学んだこと
私の父親は、臨済宗妙心寺派の管長を務めた人です。
ですから私は、父親から禅を学びました。
そして、絶食療法については、全国で唯一の公的な絶食療法専門施設である県民健康村健康道場で、実に40年間にわたり、2万数千人の方に本格的な絶食療法をさせていただいてきました。
この、
頭での理解と、体得の方法。
この両方を使っていく方法を、私の心身医学として、何とか作り上げてきました。
12.「四つの方法」は同時進行で行う
この「四つの方法」で大切なのは、
同時進行で行うこと
です。
私が作り上げたのは、
こころ分析
ゼロ体験
生かされている医学的事実
サポート
という四つの方法です。
一つずつ別々にやっていくのではありません。
同時に進めていくこと
が大切です。
13.ゼロ体験とこころ分析
ゼロ体験では、丹田呼吸法と絶食療法によって、過去から自由になり、
「本当の自分を実感する」
という体験をします。
そして「こころ分析」では、
自分の本心を知っていく。
さらに、サポートも行います。
オンラインを使って、
丹田呼吸法
こころ分析
生かされている医学的事実の会
などを行っています。
さらに、カウンセリングも行います。
これらによって、
「生かされている医学的事実を直視する」
という方法をとっています。
14.螺旋階段を上るように続けていく
この四つの方法を同時に行いながら、
螺旋階段を上るように、ずっと続けていく。
これが必要です。
頭で理解する方法と、体得する方法の両方を使います。
頭だけでは無理です。
体得だけでも無理です。
両方を使います。
一つ一つ行いながら、同時に進めていく。
そして螺旋階段を上るように、少しずつ進んでいく。
このプロセスが非常に大切です。
四つの方法で見続けていくと、だんだん理解ができてきます。
「生かされている」という事実を見て、その意味が分かってくる。
そして、
確信
が得られるようになります。
さらに最後には、
実感できるようになる。
これは時間がかかります。
しかし、それだけの意味があると思います。
15.今回は「必然か偶然か」という視点から見る
ここまでのことを理解していただいた上で、医学的事実を見ていきます。
今回の視点は、
「必然か、偶然か」
です。
今回見ていただくスライドは、ほとんど前回と同じです。
しかし、見方が違います。
今回は、
「必然か偶然か」という視点
から見ていきます。
16.宇宙・地球・生命・人類の歴史
宇宙は138億年前にできたと言われています。
地球は46億年前にできました。
46億年の歴史があります。
生命が誕生してから約38億年。
人類が誕生したのは約700万年前。
ホモ・サピエンスが誕生したのは約20万年前です。
こうして見ると、ごく最近のことです。
しかも、DNAの二重らせん構造が発見されたのは約70年前です。
本当に最近のことです。
こうした事実が明らかになったのは、私たち現代人の時代、せいぜいこの100年ほどです。
この長い歴史の中に、
素晴らしい法則と美しい調和の世界
があります。
その中で、私たちは生かされています。
では、これが、
必然なのか、偶然なのか。
そこを考えてみます。
17.生命が誕生するまで
もう少し詳しく見ていきます。
ビッグバンが起こって宇宙が誕生しました。
その後、次々と原子ができました。
原子から無機化合物へ。
無機化合物から有機化合物へ。
そして、ついに約38億年前に生命が誕生しました。
さらに約29億年前には、シアノバクテリアが大量に発生し、酸素がどんどん作られるようになりました。
これは非常に大きな出来事です。
さらに進化が続きました。
シアノバクテリアが細胞内共生し、葉緑体となりました。
植物の葉の中に入り込み、酸素をさらに作ってくれました。
そして魚類などが誕生し、さまざまな進化を経て人類が誕生しました。
そして今、私たちは、
素晴らしい法則と美しい調和の中で生かされています。
では、これが偶然にできたのか。
それとも、必然だったのか。
これが問題です。
18.人間は一個の受精卵から始まる
さらに、私たちの体について見ていきます。
人間は、
一個の受精卵から始まり、約37兆個の細胞でできています。
一個の受精卵から始まって、分かれ、分かれ、さらに分かれ、37兆個になります。
仮にこれを顕微鏡で、一秒間に5個ずつ数えていくとします。
すべてを数え終わるには、途方もない時間がかかります。
37兆というのは、それほど凄まじい数です。
しかも、その中の一個といえども、
自分では作っていません。
この事実があります。
こんなことが、偶然でできるのでしょうか。
19.一個一個の細胞が臓器を作る
さらに、一個の細胞といえども非常に精緻です。
そして、それらがさまざまな臓器になっていきます。
心臓になり、
肝臓になり、
腎臓になり、
大腸、小腸になり、
さまざまな臓器へと分かれていきます。
そして、これらすべてが、
調和を持って動いてくれなければ、命はありません。
こんなことが、偶然でできるのでしょうか。
20.腎臓を例に考える
一つの例として、腎臓を取り出し、より詳しく見てみます。
腎臓は左右に一個ずつある臓器で、長さ10センチ余り、重さ120グラム余りです。
動脈が入ってきて、それがどんどん細くなり、分かれ、さらに分かれて、
糸球体
を作ります。
これは、ろ過装置です。
このろ過装置が、
一つの腎臓に約100万個
あります。
100万個です。
非常に大きな数です。
21.腎臓は大量の血液をろ過している
腎臓はいろいろな役割を果たしています。
一日に大量の液体がろ過され、その大部分が再吸収されます。
その結果、最終的には約1.8リットルが尿として排出されます。
ここで考えてみてください。
約100万個の糸球体があるということは、一本の腎動脈が入ってきて、そこから非常に細い動脈へと分かれ、それぞれが糸球体を形成しているということです。
一本の直径8ミリほどの腎動脈から、非常に細かな血管へ分岐していきます。
そして、ろ過した血液を戻すために、細い静脈が集まり、最後には一本の腎静脈になって戻っていきます。
こんな仕組みが、
本当に偶然でできるのでしょうか。
22.胎児の中で腎臓が作られていく
しかも、初めから完成した腎臓の形があるわけではありません。
誰でも初めは胎児です。
胎児の中に、小さな腎臓のもとが現れます。
発生5週から8週にかけて、どんどん大きくなります。
すごいのは、血管が発生していく一方で、尿細管も別に発生し、大きくなっていくことです。
別々に発生して大きくなってきたものが、そこで結合しなければなりません。
だんだん血管が入り込んで形を作り、そこにすっぽりと入り込んで糸球体を作ります。
これを約100万個、すべてで行わなければなりません。
どうして、こんなことが可能なのでしょうか。
23.腎臓だけではない
今の話は、腎臓だけではありません。
肝臓もあります。
肺もあります。
心臓もあります。
膵臓もあります。
脳の細胞もあります。
しかも人間は、
心
自律神経系
内分泌・ホルモン系
免疫系
が一体となって動いています。
心身相関
しています。
全体として調和を持って動いています。
本当にすごいことです。
24.植物や動物を含む大きな生命の世界
さらに、大きな生命の世界には植物があります。
植物は酸素とデンプンを作ってくれます。
太陽のエネルギーと、二酸化炭素と水から、光合成によって酸素とデンプンを作ります。
それを小さな動物が食べ、さらに大きな動物が食べます。
そして、人間がそれを食べます。
あるいは、人間が直接植物を食べます。
つまり、
食物連鎖
があるからこそ、私たちの命があります。
大きな生命の世界で生かされているから、私たちの命があります。
25.「生かされている」は道徳でも宗教でもない
簡単に考えてみましょう。
心臓は、一日に非常に多くの回数動いています。
しかし、その一回といえども、
自分で動かしていません。
太陽も、酸素も、水も、
自分では作っていません。
大きな生命の世界の中で、私たちは医学的に、
素晴らしい法則と美しい調和によって生かされています。
これは道徳でも宗教でもありません。
純粋な医学的事実
です。
この医学的事実があります。
では、この素晴らしい世界は、
必然なのか、偶然なのか。
ここが大きな問題です。
本当に、どちらなのでしょうか。
26.甲子園球場に積んだゴミから人間ができるか
そこで考えてみましょう。
甲子園球場に、紙などのゴミを山のように積んでおくとします。
私たちの生命の世界が、
「偶然にできた」
ということは、どういうことなのか。
ゴミを山のように積んでおきます。
すると、いつの間にか、
人間が誕生する。
人間の細胞の数は約37兆個です。
一個一個の細胞が精緻な構造を持っています。
それが偶然にできる。
これが「偶然」ということになります。
あるいは、ゴミの山が、
自動車になって、突然走り出す。
自動車の部品は、3万から10万個ぐらいあると言われています。
あるいは、
月へ行くロケットになって飛んでいく。
ロケットの部品は、100万個から300万個ぐらいあると言われます。
これらが全部、
偶然にできる。
という話になります。
まして人間は10万個や300万個ではありません。1個の受精卵から増えて、37兆個になって生きています。本当に偶然でそんなことができるのでしょうか。
27.天文学的な数の偶然が必要になる
大きな生命の世界がすべて偶然でできたとするなら、
偶然に偶然が重ならなければならない
ことになります。
天文学的な数の偶然が、
規則正しく、正確に積み上がって、重なっていかなければならない。
素晴らしい法則と美しい調和を、偶然が作り出すためには、天文学的な数の偶然が、規則正しく正確に積み重なる必要があります。
しかし、
偶然というものは無秩序です。
無秩序な偶然が、本当にそこまでのことをできるのでしょうか。
28.四つの方法で、繰り返し事実を見る
ここまで、事実を見てきました。
ほんの、ごく一部の事実です。
その事実を、
四つの方法で見ていく。
これが、私の心身医学のやり方です。
しかも、一回、二回ではありません。
常に見続けます。
螺旋階段を上るように、
繰り返し、繰り返し、四つの方法を行いながら、もう一度事実を見る。
また四つの方法を行いながら、事実を見る。
常にこうして見続ける。
それが、私の方法です。
29.理解から確信へ、確信から実感へ
そうして見ていくと、だんだん、
理解
ができてきます。
そして、
確信
が得られるようになります。
さらに、
実感
できるようになります。
私は、かなり実感できるようになってきました。
これは、とても嬉しいことです。
私は長い時間をかけて、この方法を続けてきました。
まず、
私たちは素晴らしい法則と美しい調和によって生かされている。
これは事実です。
明らかな医学的事実だということは分かります。
その次に、
「これは必然だ」
という理解ができるようになってきました。
さらに、それが確信になりました。
そして、実感できるようになってきました。
つまり、
「必然である」という理解、確信、実感
ができるようになったということです。
これが、四つの方法を使いながら螺旋階段を上っていくという、私が作り上げてきた心身医学の成果です。
30.「必然」ならば設計図と創造者が必要になる
ここまで来ると、もう一つ大切な問題が出てきます。
もし、
偶然であるなら、設計図はいらない。創造者もいなくてよい。
ということになります。
しかし、それが、
「必然である」
とすれば、
設計図がある。
そして、
創造者がいる。
ということを意味するのではないか。
そう考えることができます。
31.椅子は偶然にできるだろうか
例えば、この椅子です。
この椅子は、偶然にできるでしょうか。
もし偶然にできるのであれば、設計図はいりません。
製作者も必要ありません。
しかし、この椅子が本当に偶然にできますか。
やはり椅子は、
設計図があって、製作者がいるからできる。
のではないでしょうか。
どれほど長い時間があったとしても、何もないところから突然、完成した椅子ができるでしょうか。
そんなことはないでしょう。
やはり、
製作者がいて、設計図があって、初めてできる。
そう考えるのが自然です。
これが、
「必然」ということです。
32.創造者の存在を確信し、実感する
そして、
「必然である」
ということを確信し、実感できるようになると、
創造者が存在する
ということについても、確信し、実感できるようになってきます。
これは、四つの方法を繰り返し行わなければ分かりにくいことだと思います。
少なくとも私は、その実感を非常に強く感じています。
33.私たちは命を無条件・無償でもらっている
そして、私たちが生かされているということ。
この、
命
は、一番大切なものです。
その命を、
無条件で、しかも無償でもらっています。
命について、条件は付いていません。
ただでもらっています。
これは、
限りなく優しい。
一番大切なものを、何の条件もなく与えてくれている。
そう考えると、
「限りなく優しい創造者が存在するのではないか」
ということになります。
34.限りなく優しい創造者を「Yu(ユー)」と呼ぶ
この「限りなく優しい創造者」に、名前を付けないと不便です。
その最大の特徴は、
「限りなく優しい」
ということだと思います。
そこで、「優」という意味を込めて、
Yu(ユー)
という名前を付けました。
35.これは宗教の話ではなく、医学的事実から考えてきた話
「医学的に生かしてくれている、限りなく優しいYUが存在する」
という話をすると、
「これは道徳ですか」
「宗教ですか」
と言われることがあります。
しかし、私がここでお話ししているのは、あくまでも、
医学的事実を見ていく中から、だんだんこうしたことが見えてきた
ということです。
あくまでも、
医学的事実から考えてきた話
だということです。
そこを間違えないでいただきたいと思います。
36.私たちは「Yu(ユー)の世界」の中で生かされている
私たちは単に、
大きな生命の世界の中で素晴らしく生かされている
というだけではありません。
Yu(ユー)によって、大きな生命の世界の中で、
医学的に素晴らしい法則と、美しい調和と、限りない優しさによって生かされている。
私はそう考えています。
そして、人間は本能から自由になりました。
ですから、よい食事と身の安全を得るために社会を営んでいる存在だということになります。
これが、人間という存在の一つの姿だと思います。
37.大きな生命の世界は「YUの世界」
この大きな生命の世界。
これは、
Yu(ユー)の世界
だと私は考えています。
そして私たちは、
Yu(ユー)の子
だということです。
私は、このことをとても嬉しく感じています。
そして、この心身医学を通して、新しい指針を作ってきました。
それでよかったと、今は本当に思っています。
皆さんは、いかがでしょうか。
38.私の心身医学における「五つの発見」
私の心身医学では、
「五つの発見」
というものを示しています。
まず一番上にあるのが、
「生かされているのは医学的事実である」
ということです。
これは以前からお話ししてきたように、
あくまでも事実です。
そして今回、二番目として、
「医学的に生かしてくれている、限りなく優しいYu(ユー)が存在する」
ということをお話ししました。
今回は、この点を見てきました。
39.次回以降のテーマ
そして次回からは、さらに、
「死は『私』の終わりではない」
ということ。
そして、
「何もない私が、素晴らしい自分の山を登るのが人生の喜びである」
ということ。
この点について、また説明していきたいと思います。
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